2011年1月28日金曜日

『帝皇日継』と『先代旧辞』の二本立てが犯人

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録15:19頁

だからその名が反正天皇1人だけならまだしも、

代々に重って入っているのには、

確かな理由があるはずである。

よく考えてみると、

ただ1つだけ、動かせない理由がある。

それは『帝皇日継』=天皇系図と

『先代旧辞』=事件記録=歴史とが、

別々だったためだ、ということになる。

それを書いた木簡はバラバラになりやすい。

それらを拾い集めて、

それらしい天皇の記事に挿入したのが

『記・紀』編纂の実態なのである。

その上さらに『記・紀』編集担当の漢文学者たちは、

漢文の書き方こそよく知っていたが、

都夫良がトカラへの当て字の間違いだと知らず、

その誤りを訂正できなかったし、

読む皇族たちも、

時代を隔てた先祖たちの故郷のことは知らなかった。

私たちのほうが地理も歴史も詳しく熟知している。

だから「神武紀」にみるような大変な混入も起こった。

天皇家の系譜だといっても絶対ではない。

私たちが批判して訂正するしかない。

それが系譜ならその人物の勢力圏の位置を確認すれば、

その名乗りの地名を比較してみると、

その不合理が判定できるから、

その身分に応じた名乗りかどうか結論できる。

木簡は綴って巻き物にしてあるから、

こうした混入は人や時代は間違えても、

まるっきり他の系譜と間違えることはない。

だから雄略天皇たちの祖先がどこから来たか?

ということは、正確にわかるのである。

『参考』

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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
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