『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録15:19頁
だからその名が反正天皇1人だけならまだしも、
代々に重って入っているのには、
確かな理由があるはずである。
よく考えてみると、
ただ1つだけ、動かせない理由がある。
それは『帝皇日継』=天皇系図と
『先代旧辞』=事件記録=歴史とが、
別々だったためだ、ということになる。
それを書いた木簡はバラバラになりやすい。
それらを拾い集めて、
それらしい天皇の記事に挿入したのが
『記・紀』編纂の実態なのである。
その上さらに『記・紀』編集担当の漢文学者たちは、
漢文の書き方こそよく知っていたが、
都夫良がトカラへの当て字の間違いだと知らず、
その誤りを訂正できなかったし、
読む皇族たちも、
時代を隔てた先祖たちの故郷のことは知らなかった。
私たちのほうが地理も歴史も詳しく熟知している。
だから「神武紀」にみるような大変な混入も起こった。
天皇家の系譜だといっても絶対ではない。
私たちが批判して訂正するしかない。
それが系譜ならその人物の勢力圏の位置を確認すれば、
その名乗りの地名を比較してみると、
その不合理が判定できるから、
その身分に応じた名乗りかどうか結論できる。
木簡は綴って巻き物にしてあるから、
こうした混入は人や時代は間違えても、
まるっきり他の系譜と間違えることはない。
だから雄略天皇たちの祖先がどこから来たか?
ということは、正確にわかるのである。
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
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