『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録14:30頁
「発音は地域で変わる」、
「漢字は色々に読める」という常識を考慮に入れさえすれば、
こんなに鮮やかに史実が再現し、
復元できるのである。
だから五王が名乗った百済の国は、
それもまた移動し拡大を続けて、
文字は同じでも中身も発音も別々だったのである。
それは台湾を出発点にして5世紀には奈良に到り、
京都に移り、東京に遷都して現代に至った。
ギリシャ人が東洋に入ったのは、
アレクサンドロスのインド東征が最初だと考えている人が多いが、
紀元前6世紀以前に書かれた
『ホメロス序章』には、
マレーから
「日の大神の国タイナロン=臺国(タイナ)ロン」という名で
台湾の語源になった国名まで、
多くの地名が、
それぞれ正確な位置に書かれていて、
古代ギリシャ人が台湾をよく知っており、
実際に往来して得た知識だったことを、
拙著『誰が巨大古墳を造ったのか』p・64以下に、
詳しく書いておいた。
このことでも古代ギリシャ人が我が国に来ていたことは疑えない。
しかもその人たちが、
応神天皇という
「真の大和朝廷の皇祖」と確認できた人を出したのである。
紀元前12世紀まで続いた
殷帝国が、
稲敷人が中国まで移住して建てた国だったのだから、
『日本書紀』が
我が国の建国を紀元前660年だと書くのは
このギリシャ王朝の建国で、
それには高度の文明による真実の根拠があったのであり、
決して出鱈目な誇張ではないのだ、
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
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