『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録14:24頁
しかしここで、
よく考えて結論しておかねばならないのは、
「国名が先にあって、
それを取って領土に加え、
それを名乗りに加えたのが真実ではないか」という考え方である。
これに対する答えは、
実際に分布している我が国の古代国名の分布状況が教えてくれる。
国名は常に同じ大きさで移動し、
分布しているのではない。
所により拡大したり縮小したりしている。
しかしいま私たちが問題にしている
「建国期の国名」に限ると、
『魏書倭人章』に記録された旁国は、
巴利国と播磨。
倭国南端の奴国(種子島の野間)と
伊都国東南の奴国(福岡県三瀦郡)。
弥奴国と美濃。
姐故国と茅淳と津名・紀伊などは、
すべて3世紀当時は町村程度だったものが、
移動によって国郡クラスに拡大したことを明瞭に記録している。
それらをみると、
大国の播寿が先にあって、それが西に移動して、
小さな巴和国(現在の鹿児島県隼人町)になったのではなく、
3世紀に巴利国のはうが先にあって、
そこから出た人々が移動して現存する
播磨=兵庫県の大郡にしたのであるし、
奴国も離島の小町だったものが邪馬壹国誕生によって、
あっという間に北九州の中央に移り、
人口2萬戸の大国に膨れあがったのだった。
弥奴と美濃も、姐奴と津名と紀伊も全て同じで、
その逆ではない。
だから新しい国名は、
その移動先を王の固有名で呼んだために、
生まれたのだとわかる。
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
歴史徒然
歴史学講座『創世』
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ウワイト
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