2011年1月26日水曜日

歴代の系譜に並ぶ南九州地名の名乗り

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録15:17頁

雄略天皇のもう1人の妻は、

都夫良意富美=「都火良・出水・女=トカラ・イヅミ・ミ=吐葛嗽列島から出水の女王」

という人物の子だから、

今の鹿児島県人なのである。

その名は

「韓姫・カラヒメ」だ。

このカラは姶良もまたカラで、

天孫降臨の地名「韓国(からくに)」は

この姶良郡(からぐに)のことだと、

これもよくご存知である。

すると神武天皇の日向時代の皇后の名が、

「阿比良比売」だったことと、

綺麗に重なる。

阿比良=姶良=韓で、

神武天皇と雄略天皇は同じ名の皇后をもっているのである。

けれどもそれは「石の姫=イザナミ」のような、

世襲の名乗りではない。

また南九州時代の先祖とは違い近畿で活躍した雄略天皇が、

吐葛嗽列島から出水にかけて支配した女王の娘と結婚して、

南九州の支配者になる必要もないし、

なったとしても遠隔地すぎて、

本当に治めることなどできない。

だから、

これもまた古いものが混入していることは間違いない。

それなのに反正天皇の皇女にも、

やはり同じ名乗りをもつ都夫良郎女がいる。

この天皇は大阪府の泉南郡田尻町に都して、

皇后が泉南郡の水間観音にいたことが解っているのだから、

やはり南九州とは縁が切れていたのである。

それなのに、

こんなに代々、

南九州の名乗りが続くのは、

間違いではなくて世襲の名乗りだったのではないだろうか?。

『参考』

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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
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