『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録15:17頁
雄略天皇のもう1人の妻は、
都夫良意富美=「都火良・出水・女=トカラ・イヅミ・ミ=吐葛嗽列島から出水の女王」
という人物の子だから、
今の鹿児島県人なのである。
その名は
「韓姫・カラヒメ」だ。
このカラは姶良もまたカラで、
天孫降臨の地名「韓国(からくに)」は
この姶良郡(からぐに)のことだと、
これもよくご存知である。
すると神武天皇の日向時代の皇后の名が、
「阿比良比売」だったことと、
綺麗に重なる。
阿比良=姶良=韓で、
神武天皇と雄略天皇は同じ名の皇后をもっているのである。
けれどもそれは「石の姫=イザナミ」のような、
世襲の名乗りではない。
また南九州時代の先祖とは違い近畿で活躍した雄略天皇が、
吐葛嗽列島から出水にかけて支配した女王の娘と結婚して、
南九州の支配者になる必要もないし、
なったとしても遠隔地すぎて、
本当に治めることなどできない。
だから、
これもまた古いものが混入していることは間違いない。
それなのに反正天皇の皇女にも、
やはり同じ名乗りをもつ都夫良郎女がいる。
この天皇は大阪府の泉南郡田尻町に都して、
皇后が泉南郡の水間観音にいたことが解っているのだから、
やはり南九州とは縁が切れていたのである。
それなのに、
こんなに代々、
南九州の名乗りが続くのは、
間違いではなくて世襲の名乗りだったのではないだろうか?。
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
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歴史学講座『創世』
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