『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録14:23頁
御所の名を今に止どめる奈良県の御所市は、
その高市郡にある。
そこが雄略天皇の都で、
天皇家が最初に足跡をしるした所だからこそ、
以後、
次第に移動して至るところに生まれた御所は
地名にはならなかったのに、
ここだけが記念すべき「御所」の名を
永久に残す誇りを誇示しているのである。
では神武即位地として有名な橿原市はどうなるのであろうか?.
そこは御所市の北に隣接している。
カシーは愛。
原はハイ=ハリ・巴利で都。
愛は卑弥呼と同じだが、
その名がパーリ語のペマカでなく、
後世のマレー語の愛・カシーに変わっているので、
ここは福岡の香椎宮より後の、
卑弥呼の後継者だった女王の都だと明瞭にわかる。
だから雄略夫妻は同居していない。
それは仏教徒で、
むしろ女王が上位だったからである。
その橿原市の北隣りが桜井市である。
同じマレー語で「イ」は王のこと。
桜王の領地だが、
ここには一時、
卑弥呼の基だと言われた箸基がある。
もうおわかりのようにこの墓はペマカでなく、
カシー女王の墓である。
それを倭迩迩日百襲姫の墓だというなら、
それは倭王・興が仁徳天皇陵より後に造った崇神天皇陵に、
添えて造った百襲姫陵で神社と同じもの。
そこに卑弥呼の遺骸が眠っているわけではない。
そして付近に観音を祀る長谷寺がある。
ここを占拠した雄略天皇らが、
姫講様(ヒメコさあ)を信奉する政権だったことも、
また明白である。
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
歴史徒然
歴史学講座『創世』
歴史回廊
ウワイト
古代史の画像
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