2011年1月2日日曜日

御所、橿原、桜井の地名が語る史実

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録14:23頁

御所の名を今に止どめる奈良県の御所市は、

その高市郡にある。

そこが雄略天皇の都で、

天皇家が最初に足跡をしるした所だからこそ、

以後、

次第に移動して至るところに生まれた御所は

地名にはならなかったのに、

ここだけが記念すべき「御所」の名を

永久に残す誇りを誇示しているのである。

では神武即位地として有名な橿原市はどうなるのであろうか?.

そこは御所市の北に隣接している。

カシーは愛。

原はハイ=ハリ・巴利で都。

愛は卑弥呼と同じだが、

その名がパーリ語のペマカでなく、

後世のマレー語の愛・カシーに変わっているので、

ここは福岡の香椎宮より後の、

卑弥呼の後継者だった女王の都だと明瞭にわかる。

だから雄略夫妻は同居していない。

それは仏教徒で、

むしろ女王が上位だったからである。

その橿原市の北隣りが桜井市である。

同じマレー語で「イ」は王のこと。

桜王の領地だが、

ここには一時、

卑弥呼の基だと言われた箸基がある。

もうおわかりのようにこの墓はペマカでなく、

カシー女王の墓である。

それを倭迩迩日百襲姫の墓だというなら、

それは倭王・興が仁徳天皇陵より後に造った崇神天皇陵に、

添えて造った百襲姫陵で神社と同じもの。

そこに卑弥呼の遺骸が眠っているわけではない。

そして付近に観音を祀る長谷寺がある。

ここを占拠した雄略天皇らが、

姫講様(ヒメコさあ)を信奉する政権だったことも、

また明白である。

『参考』

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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
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歴史学講座『創世』
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