2011年1月4日火曜日

国土と名乗りの世襲と新領土の行方

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録14:25頁

それが倭の五王が名乗った名乗りの最後に書かれた「個有名」と、

その最終占領地名とが一致する理由でもある。

王名が新所有者の名として、

その国の代名詞になったのは、

家や車が「○○さんの家」、

「××さんの車」と呼ばれるのと同じことである。

倭の五王の場合はそれが見事に揃っている。

これほど動かない証拠はないはどだから、

疑問は残らない。

そしてその領土が受け継がれると、

その新王の名乗りは当然、同じになる。

これが名乗りの「世襲」なのである。

それは『宋書倭国章』が記録している

五王の名乗りを比べてみれば、一目瞭然である。

「使持節都督・倭・百済・新羅・任那・秦韓・慕韓・

六国渚軍事・安東大将軍・倭国王」は、

武のときに加羅が殖えて七国になっただけで、

あとは全部同じである。

だから、名乗りのこの部分は、

「世襲」と呼ぶ以外に表現のしようがない。

その世襲部分に新たに加わったのが、

王の「固有名」を新たに国名にした、

讃岐から高市までの国々だったのである。

では、それはなぜ?

世襲名の上に追加されなかったのであろう?。

それは百済という国名を考えればわかる。

この字は「モズミ」と読める。

堺市の仁徳天皇陵のある地域を

『記・紀』は毛受耳原・百舌鳥耳原と記録しているが、

どちらもモズミハラで「百済の巴利=都」である。

堺は和泉=倭済、

それが百済の中に包含されていたのだ。

『参考』

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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
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