『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録14:25頁
それが倭の五王が名乗った名乗りの最後に書かれた「個有名」と、
その最終占領地名とが一致する理由でもある。
王名が新所有者の名として、
その国の代名詞になったのは、
家や車が「○○さんの家」、
「××さんの車」と呼ばれるのと同じことである。
倭の五王の場合はそれが見事に揃っている。
これほど動かない証拠はないはどだから、
疑問は残らない。
そしてその領土が受け継がれると、
その新王の名乗りは当然、同じになる。
これが名乗りの「世襲」なのである。
それは『宋書倭国章』が記録している
五王の名乗りを比べてみれば、一目瞭然である。
「使持節都督・倭・百済・新羅・任那・秦韓・慕韓・
六国渚軍事・安東大将軍・倭国王」は、
武のときに加羅が殖えて七国になっただけで、
あとは全部同じである。
だから、名乗りのこの部分は、
「世襲」と呼ぶ以外に表現のしようがない。
その世襲部分に新たに加わったのが、
王の「固有名」を新たに国名にした、
讃岐から高市までの国々だったのである。
では、それはなぜ?
世襲名の上に追加されなかったのであろう?。
それは百済という国名を考えればわかる。
この字は「モズミ」と読める。
堺市の仁徳天皇陵のある地域を
『記・紀』は毛受耳原・百舌鳥耳原と記録しているが、
どちらもモズミハラで「百済の巴利=都」である。
堺は和泉=倭済、
それが百済の中に包含されていたのだ。
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
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歴史学講座『創世』
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