2011年1月7日金曜日

大隅と出水に進出した百済人(ポセイドン)のその後

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録14:28頁

その南九州人が、

種子島のナガタニ=長谷一帯(南種子町長谷(はせ)ン野)に

移住したことも、

チョウコクという漢字を「ハセ」と読むことでわかる。

「百済」を「ハツセ」と読むのは、

これも南九州人の癖だからである。

そこで勢力を蓄えて、

次に移住した土地もわかっている。

それもご存知の通り

「百済」もオオスミと読めるから大隅なのである。

この移住には「サカ⇒サタ」という大移住の標識地名が、

今なお現存していることもまた、

よくご存知である。

その時もう一波の移住者が鹿児島県の出水地方へ移った。

彼らも大隅人と同じく沖縄訛りを話したが、

百済は大隅という新しい当て字に変わったことから、

ウースンと呼ばれるようになったので、

出水への移住者は、それと区別するために、

ポセイドンの後半を国名にして

イヅンと発音するので「出海(イズウン)」、

のちに「出水」という当て字を使った。

ヅはドの沖縄訛りだから、彼らの方が大隅人以上に、

沖縄訛りが強く残っていた人々だったことがわかる。

出水から北へ一山(ひとやま)越せば

熊本県の球磨(くま)地方である。

ここから大隅の曽(ソ)於郡地方までを一括した地域名が

「熊襲」であることは、

古来よく知られた事実である。

その熊襲は

「肥・日」をクマと読み、

ソに「素」の字を使った当て字によって

クマモトと呼ばれるようになった。

またモトに「本」の字を使うと「熊本」だから、

次の発展地がどこか簡単にわかる。

『参考』

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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
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歴史学講座『創世』
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