『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録15:18頁
反正天皇の名乗りがタジヒと書かれているのは、
種子島⇒田尻⇒但馬と変化した当て字が示すように、
種子島系だと語るが、
全国に田尻が大量に分布していて、
特定するには慎重なデータ分析が必要だと、
本講で田尻のリストをご覧に入れてご説明した。
この天皇の皇妃・皇子女の名は何を語るのだろう?。
『古事記』は、
都怒(ツナ)郎女皇后が甲斐郎女と都夫良(ツブラ)郎女を、
弟比売が財王と多訶弁郎女を、
『日本書紀』は、
津野媛皇后が香火姫皇女と圓皇女を、
弟媛が財皇女と高部皇子を生んだ、と記録している。
財はタカラで高国(ラ)、
多訶弁はタカベンで高部(べ)ン、
宝島はトカラ列島にあるから同じ名乗りだ。
するとこれは4人ではなく1人の名乗りで、
全部同じ名が姿を変えただけのものだとわかる。
都夫良は間違いなくトカラで、
当て字は都火良が正しいのである。
また、この天皇の名はミズハワケだから、
水派別と当て字すると、
ミズハの他にミナマタとも読める。
語源は熊本県の水俣(みなまた)市にあった可能性が大きい。
しかし仁徳天皇の皇子だから、
その生活圏は四国以東のはずで、
その皇女がトカラ列島の領主になるわけはない。
ではツブラの方が正しいかというと、
あるのは津村ていどで、
トカラのような広域の領地名ではなく名乗りになりそうもない。
それなのに家族全部、
揃いも揃って南九州の地名が並んでいる。
これは何故なのだろう?。
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
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歴史学講座『創世』
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