2011年1月13日木曜日

『記・紀』は『ギリシャ神話』の継承物だった

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録15:4頁

倭国の王が国を失ったあと出雲へ去ったのは、

『サカ⇒サタ』の歴史の終末で

京都の嵯峨から島根の佐太へ移った大神として検討ずみである。

これも1個人ではないことの証しだ。

では応神と同じ系譜の持ち主はどの大国主なのだろう?。

それは同じ名をもっていたことの確かな

「名替えの当事者」以外にはいない。

応神の系譜と錯覚したのは品陀真若の系譜で、

彼が引退した大国主その人だったのである。

彼が名替えしたのは津奈木。

そして出雲に引退した。

この出雲の自然な読み方は「イヅウン」。

その短縮型・イヅンは出水で、

そこは津奈木のすぐ南という地理条件まで、

島根ではなく薩摩が舞台だったことを証言している。

だが『記・紀』の大国主の国譲りは、

『ウラノスの国譲り』丸写しなのである。

そんなものを、わざわざ掲載してあるのは、

「こんなことも起こるぞ。気をつけなさい」

という警告として役立つことを考えると、

『記・紀』そのものが本来、各部族のもっていた文書を集めて

編集した家記の集大成だったのだから、

その内容は歴史記録ばかりでなく、

家訓も入っていたことは間違いない。

部族の長は皆「為政者」である。

その為政者のための「教科書」だったものの遺物が、

いかにも『正史』らしく編集されて『記・紀』になったもので、

それは間違いもなく、

同じ目的とスタイルをもつ『ギリシャ神話』の継承物だったのである。

『参考』

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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
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