『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録15:4頁
倭国の王が国を失ったあと出雲へ去ったのは、
『サカ⇒サタ』の歴史の終末で
京都の嵯峨から島根の佐太へ移った大神として検討ずみである。
これも1個人ではないことの証しだ。
では応神と同じ系譜の持ち主はどの大国主なのだろう?。
それは同じ名をもっていたことの確かな
「名替えの当事者」以外にはいない。
応神の系譜と錯覚したのは品陀真若の系譜で、
彼が引退した大国主その人だったのである。
彼が名替えしたのは津奈木。
そして出雲に引退した。
この出雲の自然な読み方は「イヅウン」。
その短縮型・イヅンは出水で、
そこは津奈木のすぐ南という地理条件まで、
島根ではなく薩摩が舞台だったことを証言している。
だが『記・紀』の大国主の国譲りは、
『ウラノスの国譲り』丸写しなのである。
そんなものを、わざわざ掲載してあるのは、
「こんなことも起こるぞ。気をつけなさい」
という警告として役立つことを考えると、
『記・紀』そのものが本来、各部族のもっていた文書を集めて
編集した家記の集大成だったのだから、
その内容は歴史記録ばかりでなく、
家訓も入っていたことは間違いない。
部族の長は皆「為政者」である。
その為政者のための「教科書」だったものの遺物が、
いかにも『正史』らしく編集されて『記・紀』になったもので、
それは間違いもなく、
同じ目的とスタイルをもつ『ギリシャ神話』の継承物だったのである。
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
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