2011年2月1日火曜日

重要な、名乗り地名の所在確認

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録15:23頁

私たちは、

そのチヌがウチナ=大天から

姐奴国、津奈木、津名、茅沼⇒キノ・木の、紀伊と

移動したことをよく知っている。

奈良の纏向(まきむく)は最後の到達点だから、

マキムクなどという、

まるで違った発音に変わってしまって、

その語源が沖縄(ウテナ)として残っていることなど、

まるでわからなくなっている。

これは地名の「年代差」で、

発掘品の土器の様式や、

恐竜化石の骨や歯がもっ変化の示す年代差と、

全く同じものなのである。

このようにすれば、

その貴重な年代差が正確に発見でき、

誰にでも理解できるようになる。

それは無数の地名が移動して実証しているのに、

それを知らず、考えもせずに、

記録された纏向を皆「マキムク」と読み、

全部、奈良県の纏向(まきむく)だと思い込む知能指数では、

日本の古代史復元を試みることは無理である。

過去の解説者が全滅した理由の1つがここにもある。

それだけでなく景行天皇が活躍した筑前には

京都(みやこ)の郡があり、

隣りの豊前の大野の郡には

三重の采女(うねめ)の出身地とみていい三重町がある。

淡海の三船がつけた景行という諡号は

「日の京へ行った天皇」をうまくモジった作品で、

その日はホ、沖縄語のフで、豊はその当て字。

豊前は沖縄読みプーミで、

『魏書倭人章』の伊都国の東の

不弥国(プーミャ)に完全に一致する。

だからこの三重の采女(うねめ)の歌は、

景行天皇の記事が雄略天皇の記事に

紛れこんだものと解るのである。

『参考』

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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
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歴史学講座『創世』
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