2011年2月4日金曜日

台湾から青森まで、倭国の足跡を記録している陸奥

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録15:26頁

この「日本語読み」の問題に視点を絞ると、

さらに大きな証言が出現する。

それは台湾の古名が「小琉球」で、

沖縄が「大琉球」と呼ばれていた事実である。

これは誰がみても現実とは逆になっている。

沖縄は小さく、

台湾が大きい。

しかし、

この大小を日本語読みすると、

コ琉球とオオ琉球である。

これは古(こ)琉球と倭(おお)琉球だったとわかるから何の不合理もない。

この琉球の名はリクウという大隅語のまま

「陸奥(リクアウ)・リクウ」という

当て字になって現在も残っている。

もう1つの琉球への当て字・六合(りくあう)も、

六をムツという日本語で読んだ

「陸奥(ムツ)」という読み方として残っていて、

東北地方の北端まで琉球人が移住した事実を立証している。

だからこれで私たちには、

琉球は単に沖縄県だけでなく、

台湾からスタートして青森県まで到達したことが読みとれる。

それは今の主題

「ギリシャ系倭国天皇家が台湾で生まれた」、

そして5世紀に大和朝廷を造り、

7世紀に大化改新で近畿の倭国政権が負けて、

日本政権に変わったあとも東国では勢力をもち続けており、

最後に東北に移動して、

この陸奥の地名を現在まで止どめているのだ、

と明確に理解できる。

するとその追撃戦の記録もよくわかる。

先ず天智天皇の阿部の比良夫、

次が坂上田村麻呂、

そして八幡太郎義家で、

八幡平(たい)などの地名もその遺物だと非常によくわかる。

『参考』

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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
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