『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録16:7頁
末廬(マツラ)という発音が帯方郡使にも聞き取れたことは、
3世紀にはマツラという地名がそこにつけられていたからで、
それは最初は馬津国(マツラ)だったものが、
のちに松浦になったことも疑いない。
ところがその地域には日本最大の磯の松原である
「虹の松原」が現在も残っている。
文字通り松の浦である。
松の木が馬津国(マツラ)を代表する聖木だから、
むやみに伐採し尽くされず、
今に至るまで昔の面影を保っているのだとわかる。
このことで松を日本語でマツと発音するのは、
語源が馬の国である「馬津国」だからだとわかる。
それではその松の木はポセイドンの聖木だから、
それが群生していたから、
そこをマツラと呼んだのであろうか?。
それともそこが馬津国こなったからマツラと呼ばれた後、
そこに松の木を植えたから、
馬津=マツの木という名が生まれ、
それは中国では松=セウと呼ばれる木だから、
その字を使い、発音だけ日本読みしてマツと呼ぶようになったのか?。
これは発音からいっても、
文字からいっても後の方が正しい。
だとすれば松の木は後から植えたもので、
そこに大きな松原があったところに、
偶然、馬津国が移動してきた奇跡的な出来事があったわけではない。
馬津国が発展すれば必然的に造船量も増えるから、
松は単なる聖木としてではなく、
海人族の最大の経済基盤として人工的に増殖されたのだとわかる。
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
歴史徒然
歴史学講座『創世』
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