『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録15:29頁
だから允恭と雄略は仇敵だったが、
系譜上は親子になる。
しかし本当の血縁の上からいっても、
允恭天皇らの高句麗系も、
応神・雄略天皇らの倭国系も、
同じ台湾~与那国~沖縄~種子島と進んできた
ギリシャ系五彩圏連邦の天皇家の一員であることは、
孝昭、孝安・孝霊・孝元4天皇のところでお話しした。
それがさらに時とともに様々な人種の渡来人を血縁に加え、
互いに勢力争いをしながらも、
結局は互いに支えあってきたのである。
7世紀の世人は、
それを
「橘(種子島系人)は己が枝々実れども
(平素は好き勝手なことをしているが)
(ひとたび事が起こると)
同じ緒(お)に貫く(1つに増結して血統を守る)」
という戯れ歌にして歌ったと、
『日本書紀』が記録している。
これは天皇家を批判した不利な記事なのに隠さずに
わざわざ載せているのは、
それが天皇たちに必要な教訓だからだ。
これも
『記・紀』は『帝訓=教科書』の役目を果たし、
『憲法』でもあったという証拠である。
しかしこの歌は、さらに重要な証拠になる。
それは7世紀の奈良人が自分たちと天皇たちとを、
はっきり区別している事実だ。
仮に『邪馬台国大和説』がいうように、
卑弥呼たちが奈良県に居たのなら、
神武即位後700年もの間には同化していて、
天皇家を「橘」などと、
異人種視することはない。
邪馬台国大和説は、
これ1つでも完全に消滅するのである。
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
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