『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録15:25頁
この地名の移動が、
他の地名の移動と異なっている点は、
それが倭国の発生と終末に見事に一致している点である。
ナゴヤは3世紀の伊都国の北にあり、
朝鮮半島との往来の玄関口として知られた位置にあり、
16世紀末の悪業=豊臣秀吉の朝鮮侵略の基地にもなった。
次いで5世紀初めの
仁徳天皇の都・難波=愛媛県長浜市に移り、
5世紀後半には今の大阪に移り、
後世の大都市化のいとぐちを開いたが、
7世紀末の大化大戦で倭国そのものが瓦解、
その一部が移動した先に那波の地名が生まれて、
10世紀の『倭名類衆妙』に
上野国(こうづけ)の郡名として記録されたが、
現在の群馬県にはもう片鱗も残っていない。
しかし同じ群馬の桐生市はキリュウ=基隆で、
台湾北部の大港湾都市として、
名護屋や名古屋や大阪と同一条件をもつ。
桐生は港湾がない。
その点は合わないが、
絹取り引きでは有名な都市であった。
渡良瀬(わたらせ)川の舟運は
古代には貿易港として役立ったから、
やはり移動地名だったことは間違いない。
このキリュウを、
発音の一致だけで説明しようとすると、
基隆の華僑(かきょう)が
桐生に渡来したのであるという在来型の渡来説にしかならない。
だがそれだと基隆(キールン)がなぜ?、
キリュウという日本式の読みに合うのか不明だ。
地名は歴史の断片なのだから、
単独でなく関連地名と総合して研究して、
始めて本講のように明快に復元できる。
その差をよくご認識いただきたい。
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
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歴史学講座『創世』
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