2011年2月3日木曜日

在来の渡来人説の欠陥を教える2つのキリュウ

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録15:25頁

この地名の移動が、

他の地名の移動と異なっている点は、

それが倭国の発生と終末に見事に一致している点である。

ナゴヤは3世紀の伊都国の北にあり、

朝鮮半島との往来の玄関口として知られた位置にあり、

16世紀末の悪業=豊臣秀吉の朝鮮侵略の基地にもなった。

次いで5世紀初めの

仁徳天皇の都・難波=愛媛県長浜市に移り、

5世紀後半には今の大阪に移り、

後世の大都市化のいとぐちを開いたが、

7世紀末の大化大戦で倭国そのものが瓦解、

その一部が移動した先に那波の地名が生まれて、

10世紀の『倭名類衆妙』に

上野国(こうづけ)の郡名として記録されたが、

現在の群馬県にはもう片鱗も残っていない。

しかし同じ群馬の桐生市はキリュウ=基隆で、

台湾北部の大港湾都市として、

名護屋や名古屋や大阪と同一条件をもつ。

桐生は港湾がない。

その点は合わないが、

絹取り引きでは有名な都市であった。

渡良瀬(わたらせ)川の舟運は

古代には貿易港として役立ったから、

やはり移動地名だったことは間違いない。

このキリュウを、

発音の一致だけで説明しようとすると、

基隆の華僑(かきょう)が

桐生に渡来したのであるという在来型の渡来説にしかならない。

だがそれだと基隆(キールン)がなぜ?、

キリュウという日本式の読みに合うのか不明だ。

地名は歴史の断片なのだから、

単独でなく関連地名と総合して研究して、

始めて本講のように明快に復元できる。

その差をよくご認識いただきたい。

『参考』

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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
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