2011年2月28日月曜日

7世紀に活躍した大船団の記録

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録16:18頁

しかし、

この絵は沖縄に土着した人々の、

ささやかな漁猟生活を写したもので、

列島本土に移住した人々の子孫には、

奇異に映った風俗だったのである。

千年の年月は、それだけの風俗差を作りだしていた。

では本土に移住したギリシャ系海人族ははどうなったか?。

雄略天皇が金波鎮漢紀武と名乗って、

81艘の海軍を率いて允恭天皇を倒したことは先にお話しした。

それ以後に確実な記事があるのは大化改新前後である。

『日本書紀』をみると、

天智天皇元年5月、

大将軍・大錦中の阿曇の比羅夫が、

船師170艘を率いて、

百済の豊璋を百済国まで護送したという記事がある。

この阿曇は従来、

アズミと読んで来たが、

阿はオ、オーでもあるから、

「オーズミ=大隅」であり、

百済をホズミと読んだものの大隅発音でも、

やはりオースミになる。

結局彼は百済人そのものだから、

ポセイドン人=海軍の総指揮官だったのである。

この海軍の総指揮官がもう一人いる。

阿部の比羅夫である。

同じ名乗りをもったこの人物は

斉明天皇4年4月に、船師170艘を率いて蝦夷を討ち、

続いて粛慎(シン)を討つ。

同6年3月には船師200艘を率いて、また粛慎を討つ。

その船がどれ位の大きさだったかは別として、

渡海して兵員を運んで戦えるだけの海軍が、

7世紀まで実在したことは確かだ。

『参考』

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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
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