『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録16:18頁
しかし、
この絵は沖縄に土着した人々の、
ささやかな漁猟生活を写したもので、
列島本土に移住した人々の子孫には、
奇異に映った風俗だったのである。
千年の年月は、それだけの風俗差を作りだしていた。
では本土に移住したギリシャ系海人族ははどうなったか?。
雄略天皇が金波鎮漢紀武と名乗って、
81艘の海軍を率いて允恭天皇を倒したことは先にお話しした。
それ以後に確実な記事があるのは大化改新前後である。
『日本書紀』をみると、
天智天皇元年5月、
大将軍・大錦中の阿曇の比羅夫が、
船師170艘を率いて、
百済の豊璋を百済国まで護送したという記事がある。
この阿曇は従来、
アズミと読んで来たが、
阿はオ、オーでもあるから、
「オーズミ=大隅」であり、
百済をホズミと読んだものの大隅発音でも、
やはりオースミになる。
結局彼は百済人そのものだから、
ポセイドン人=海軍の総指揮官だったのである。
この海軍の総指揮官がもう一人いる。
阿部の比羅夫である。
同じ名乗りをもったこの人物は
斉明天皇4年4月に、船師170艘を率いて蝦夷を討ち、
続いて粛慎(シン)を討つ。
同6年3月には船師200艘を率いて、また粛慎を討つ。
その船がどれ位の大きさだったかは別として、
渡海して兵員を運んで戦えるだけの海軍が、
7世紀まで実在したことは確かだ。
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
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歴史学講座『創世』
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