『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録15:24頁
しかし朝倉の宮という地名も気になる。
朝倉は7世紀に斉明天皇が亡くなった筑前の地名、
福岡県朝倉郡だとされるが、
『倭名類聚鈔』の筑前の部にはない。
『倭名類聚砂』には全国でただ1か所、
今の群馬県前橋市朝倉町が、
那波(ナハ)の郡の筆頭にあるだけである。
だから大和には高市の郡にもない。
城上(きのかみ)郡に長谷が
波都勢・ハツセと振り仮名してあるだけだ。
またその高市の郡には御所(ごせ)の名はなくて、
「巨勢・こせ」がある。
これは雄略王朝が衰亡した後世に、
ここを領有したのが巨勢氏だった証拠で、
語源は五瀬や伊勢や石や御所(ゴセ)と同じだが、
当て字をみると濁りは消えてコセである。
イサナギの名はここまでくると原形をとどめなくなる。
臣下の巨勢の住まいを御所とは呼ばないから、
付近に葛城一族の居住痕跡が濃く、
葛城という山があっても、
だからと葛城王朝を妄想しては学者とは言えない。
那波(ナハ)の地名が出てきたチャンスに、
ナハという地名がどれほど重要なものかも
お話ししておこう。
沖縄の首都・那覇は、
これまでまるで外国の地名のように見られ思われてきたが、
那覇は間に助詞を挟むと
那ヌ覇=ナヌハ=難波・浪速になる。
この助詞をガにすると那ガ覇=ナガハ+国(マ)=長浜。
ハを八と書くとナガヤ=長屋(王)。
この発音変化ナグヤ=名護屋、名護。
ナゴヤ=名護屋・名古屋。
だから難波や浪速の渡りも転々と移動しているのである。
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
歴史徒然
歴史学講座『創世』
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