『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録16:3頁
正月を迎えると我が国では門松を立てる。
最近は少なくなったが、戦前は長屋住まいの人でも、
根のついた松苗にノシを掛けたものを、
玄関の左右に打ちつけて、松の内を祝った。
ところが戦争が長引いて、
航空燃料に松根油を供出するという断未魔状態になると、
政府が
「松は重要資源だから門松は国策に反する、絵で代用するように」と命令したので、
以後は門松の絵を印刷したものを貼るようになった。
敗戦後「そんな縁起でもないことをしたから敗けたんだ」といった人がいたが、
戦後はデパートなどが賑々しく大きな松竹梅を飾るくらいで、
全国的に廃れて、クリスマス・ツリーのはうが目立つようになった。
しかしなぜ門松を立てるのか?
在来の手法なら何でもかでも
「中国から来た文化だ」で済まされてきたが、
中国には松を特別視する宗教や習慣はない。
それがあるのは只1カ所、ギリシャだけである。
古代ギリシャでは船を造るのに松が欠かせない適材だったから、
今も「ポセイドンの聖木」として神聖祝されている。
この門松(カドマツ)という姓が鹿児島にある。
私の古い友人にも門松君がいたが、
背のスラリとした欧米型の美男子だった。
すると初めて松の木が、なぜ「マツ」という発音をもっているのか?が、わかる。
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
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歴史学講座『創世』
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