『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録15:28頁
これで、倭国誕生から終末までの輪郭が確認できた。
その推移はこれまでの結論と少しも食い違わない。
だから安心して今度は主題の
「倭王・武の細部」に戻って、
私たち日本人にとって特に気がかりな
「神武天皇即位」の真相を、
もっと掘り下げて検討してみよう。
その神武天皇の即位地と記録されているのは、
雄略天皇の武の名を冠した高市ではなくて、
その北隣りの橿原だった。
この地名は
「愛・カシー、巴利・ハリ=仏都」を
意味することは講義録(院)13でお話しした。
そこに君臨するのは卑弥呼と同じ
「優婆畏・ウワイ=倭=女性仏教徒」の
女王だという意味をもっている。
だから橿原即位とは、
女王の都の支配権を手に入れたということにほかならない。
ではその女王とは誰だったか?。
彼が結婚したのは
『日本書紀』では「橘姫皇女」で誰の子とは書いてない。
しかし彼の前の支配者だった允恭天皇には、
『古事記』が「橘大娘女」と書く皇女がいる。
系譜上の允恭天皇と雄略天皇の親子関係は、
実子ではなく
養子関係であることはすでにご納得ずみだから、
その結婚相手は系譜では「妹」の橋大娘女だ。
だから妻を「妹」と書く古文の真意が、
ここでよく解る。
「日本人は実妹と結婚する野蛮人だった」と
軽蔑されることはない。
雄略天皇は允恭天皇系の女王を皇后にして、
始めて「天下を治める」ことになったのである。
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
歴史徒然
歴史学講座『創世』
歴史回廊
ウワイト
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