2011年2月6日日曜日

橿原の宮での神武天皇即位の真相

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録15:28頁

これで、倭国誕生から終末までの輪郭が確認できた。

その推移はこれまでの結論と少しも食い違わない。

だから安心して今度は主題の

「倭王・武の細部」に戻って、

私たち日本人にとって特に気がかりな

「神武天皇即位」の真相を、

もっと掘り下げて検討してみよう。

その神武天皇の即位地と記録されているのは、

雄略天皇の武の名を冠した高市ではなくて、

その北隣りの橿原だった。

この地名は

「愛・カシー、巴利・ハリ=仏都」を

意味することは講義録(院)13でお話しした。

そこに君臨するのは卑弥呼と同じ

「優婆畏・ウワイ=倭=女性仏教徒」の

女王だという意味をもっている。

だから橿原即位とは、

女王の都の支配権を手に入れたということにほかならない。

ではその女王とは誰だったか?。

彼が結婚したのは

『日本書紀』では「橘姫皇女」で誰の子とは書いてない。

しかし彼の前の支配者だった允恭天皇には、

『古事記』が「橘大娘女」と書く皇女がいる。

系譜上の允恭天皇と雄略天皇の親子関係は、

実子ではなく

養子関係であることはすでにご納得ずみだから、

その結婚相手は系譜では「妹」の橋大娘女だ。

だから妻を「妹」と書く古文の真意が、

ここでよく解る。

「日本人は実妹と結婚する野蛮人だった」と

軽蔑されることはない。

雄略天皇は允恭天皇系の女王を皇后にして、

始めて「天下を治める」ことになったのである。

『参考』

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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
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