『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録14:21頁
でも、允恭天皇を倒した金波鎮漢紀武は、
本当の実在者なのか?。
名を分析してみよう。
金はキン。
波鎮はハチン。
漢紀はカンキ。
武はタケシと読もう。
キンは、
南九州語とみると
「キの」で「紀伊(キ)の」という名乗りに合う。
紀伊は興が五瀬の命として死んだところだから、
そのとき弟の神武=武は紀伊の領主だった。
金・キンは、それに完全によく合っている。
波鎮は新羅の官名か称号だとする説もあったが、
武は応神天皇=大隅八幡を始祖にもち、
仁徳の出発点が宇佐八幡。
自分も八幡徒=ヤマト朝廷を
大和に始めて導いた雄略天皇なのだから、
波鎮はハチンでなく、
ハチマンへの、まずい当て字だと断定していい。
カンキも本当は「韓木」が元の当て字だったとみると、
その発音はカラコ。
その元の字は「韓子」が妥当だから、
それはカラスとも読めるので鳥の「烏」、
大雀や木莵(ミミヅク)の名をもった一族の名の1つである。
八幡をヤハタと読めば「ヤハタガラス」。
紀伊から大和へ神武軍を先導した有名な
「八咫=ヤアタ、鳥=ガラス」という名が完成するが、
この八咫烏は京都の賀茂御祖(みおや)神社に、
賀茂建角身(タケツノミ)の命として祭られている。
「建=武=高市・の・身」だ。
身はミともシンとも読めるから
「臣」に換えると高市の臣、
タケチノシンかタケチノオミで両方とも意味は同じだ。
即位前の武=雄略天皇自身の名乗りになるのである。
『参考』
翻訳と辞書 [無料]
リンクフリー〔UTF-8 対応版〕
小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
歴史徒然
歴史学講座『創世』
歴史回廊
ウワイト
古代史の画像
0 件のコメント:
コメントを投稿