『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録14:14頁
しかし、念をいれて、
仮に西暦紀元ごろに、彼が死んだと仮定してみよう。
すると血沼の海という名は、
1世紀からあったことになる。
そこに面した土地もまたチヌと呼ばれていても不思議ではない。
そうすると5世紀になって、
占領地に自分の名乗りをっけた倭の五王の時代には、
チヌの名は消えて、
別の地名に変わっていなければならない。
しかし現実には、
倭の五王たちが四国から淡路島経由で渡海して、
『宋書』が記録した名乗り通りの順番に、
サヌキ=讃。
ツナ・チヌ=珍。
イヅミ=倭済。
河内・コオチ=興。
高市・タケシ=武と
進んだ名乗りと地名の、
動かせない一致が現存していることを、
誰でもはっきり確認できる。
だからツナ・チヌとキノは珍が占領して、
初めて付いた地名だとしなければ、
1世紀からチヌと呼ばれていた土地に、
また5世紀に同じ名をもった天皇がやってきて、
改めてチヌと命名したということになる。
これは奇跡としか言いようがない。
5人の天皇が様々な障害と戦いながら
少しずつ国土を広げて行ったのに、
その中の1人が、
きっかり自分の名乗り通りの地名の土地を、
不思議にも次々に占領したということは、
絶対にあり得ないことだ。
逆に5世紀に彼が占領したから
ツナ・チヌ・キノという地名が
3か所につけられたというのなら、
これは何の不思義もない。
ごく自然な史実だと理解できる。
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
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