2010年12月24日金曜日

5世紀のものと確認させた血沼の地名説話

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録14:14頁

しかし、念をいれて、

仮に西暦紀元ごろに、彼が死んだと仮定してみよう。

すると血沼の海という名は、

1世紀からあったことになる。

そこに面した土地もまたチヌと呼ばれていても不思議ではない。

そうすると5世紀になって、

占領地に自分の名乗りをっけた倭の五王の時代には、

チヌの名は消えて、

別の地名に変わっていなければならない。

しかし現実には、

倭の五王たちが四国から淡路島経由で渡海して、

『宋書』が記録した名乗り通りの順番に、

サヌキ=讃。

ツナ・チヌ=珍。

イヅミ=倭済。

河内・コオチ=興。

高市・タケシ=武と

進んだ名乗りと地名の、

動かせない一致が現存していることを、

誰でもはっきり確認できる。

だからツナ・チヌとキノは珍が占領して、

初めて付いた地名だとしなければ、

1世紀からチヌと呼ばれていた土地に、

また5世紀に同じ名をもった天皇がやってきて、

改めてチヌと命名したということになる。

これは奇跡としか言いようがない。

5人の天皇が様々な障害と戦いながら

少しずつ国土を広げて行ったのに、

その中の1人が、

きっかり自分の名乗り通りの地名の土地を、

不思議にも次々に占領したということは、

絶対にあり得ないことだ。

逆に5世紀に彼が占領したから

ツナ・チヌ・キノという地名が 

3か所につけられたというのなら、

これは何の不思義もない。

ごく自然な史実だと理解できる。

『参考』

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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
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