2010年12月30日木曜日

万世一糸と允恭問題。允恭の名乗りは難升米

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録14:20頁

これまでお話ししてきたように、

允恭天皇は倭の五王にとっては敵の天皇であって、

仁徳天皇以下、

歴代の記事中に必ずある

「皇位継承争い」の一種である。

高句麗王家といってもそれは同系の九州に残った同族であり、

九州から見れば、

むしろ自分たちが本家で、

近畿の天皇家が分家に見えていたのである。

万世一系とはそういう意味で、

決して実父から実子へ相続したという意味ではない。

そうでないとしたら天皇家は、

後醍醐天皇の南北朝時代に、

万世一系ではなくなってしまって、

北朝の現天皇家はニセモノだと断定するしかなくなる。

ところが、そうではなくて、

私のいう通りだと証明するのが、

『記・紀』の役目だといっていい。

それは注意して読めば、

至るところでその継承が切れて、

別の有力者が現われては、

それを継いでいることを教えることに精力を注(そそ)いでいる。

だから『記・紀』は、

血統ばかり重んじて、

それだけでバカ殿様に皇位継承させてはいけないということを、

重要なテーマにした『帝王学』と倫理の教科書であり、

古式の『憲法』でもあったことがわかる。

しかし血統も重んじたのは、

継体天皇が応神天皇の5世孫だと、

執拗に主張したことでも明らかであり、

允恭の名乗り男浅(ナンセン)津間(マ)も、

助詞の津を余分に挟んでいるだけで「ナンセンマ」

『魏書倭人章』の

難升米(ナンサンマイ)の世襲だとすぐわかる。

3世紀からの血統は変わっていない。

『参考』

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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
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