『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録14:10頁
しかしまだある。
五瀬はゴセとも読める。
だからゴセと読む奈良県にある御所(ごせ)市も、
御所とは皇居を意味する通称なので、
やはり「イセ・イザ」と同じものだったことがわかるから、
なぜ皇居を御所と呼ぶのかという疑問が解け、
イザナギも伊勢も、
本来は「御所の陛下」を意味する専称であり敬語だったことがわかる。
「長上に対しては直接名を呼ばない」
という今に伝わる特殊な伝習が、
当時からあったこともわかる。
これらの点が揃っていることからみても、
それが国家の最高位を意味するのは当然だった。
だから五瀬の命が最高位で、
神武は皇弟に過ぎなかったが、
兄に代って皇位についたのが史実である。
五瀬の命の死で、
神武が次の御所の陛下になってイザナギと呼ばれたことは、
『記・紀』が
神武を伊波礼毘古・磐余彦と書いていることでもわかる。
磐は石で「イザ」、礼はラ行だが、
半島系の『古事記』筆者・太の安万呂たちは、
現在の盧(ノ)韓国大統領の姓と同じように、
半島発音で「ナ」行に当てている。
彦は王で「ギ」。
だからやはりイザナギヘの当て字なのに、
それを「伊波札」と当て字し、
それをまた「イハレ」と誤読したほうを正しいと教え、
守られてきた過去の国史教育の間違いが確認できる。
このこと1つだけでも
『古事記』が『日本書紀』より後で
書かれたものだったことは明らかで、
それを疑う余地はない。
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
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