『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録14:4頁
伊弉諾尊(イザナギノミコト)といった
『記・紀』の当て字に、
埋没してしまっていた真実の歴史が、
こうして方法さえ正しければ、
次々に発掘されて古代の真相が姿を現わし、
真の史実が復元できるということが、
これだけでも、よくご確認いただけたはずである。
そして『記・紀』の実体は、
従来、唯物史観学者が唱えて来たような、
単なる政治的作文ではなく、
真実の歴史そのものだったことを、
『記・紀』以外の文献、
ことに『記・紀』を作ったとされる天智天皇や天武天皇とは
何の利害関係もない、
3世紀中国の晋(シン)で編集された
『魏書倭人章』が、
非常に明瞭、
かつ正確に記録していた事実も改めてわかる。
そこに書かれた「伊声耆(イサンギ)」はまぎれもなく
イザナギの名乗りの証明で、
『古事記』の印色(イシキ)入日子。
『日本書紀』の五十瓊敷(イニシキ)入彦の命だとわかり、
載斯烏越(たいしオジウォ)は太子忍代で、
景行天皇の太子時代の呼び名であり、
掖邪狗(ヤジャカウ)は八坂入彦=ヤザカオウへの当て字だと、
完全に立証された。
『記・紀』は
この兄弟を氷羽洲(ヒハス)比売=日葉酢媛が、
印色入日子=五十瓊敷入彦。
大帯日子麻斯呂(オシロ)和気=大足彦天皇、
大中津日子=大中姫の順に生んだと書いているが、
3番目は性語尾が
「日子と姫」と、
『記』と『紀』で違っていて、
男か女かわからない。
だが明瞭にわかるのは、
長男のイザナギは天皇でなく、
次男が天皇だということである。
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
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