2010年12月14日火曜日

『記・紀』の実体は史実、政治用作文ではない

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録14:4頁

伊弉諾尊(イザナギノミコト)といった

『記・紀』の当て字に、

埋没してしまっていた真実の歴史が、

こうして方法さえ正しければ、

次々に発掘されて古代の真相が姿を現わし、

真の史実が復元できるということが、

これだけでも、よくご確認いただけたはずである。

そして『記・紀』の実体は、

従来、唯物史観学者が唱えて来たような、

単なる政治的作文ではなく、

真実の歴史そのものだったことを、

『記・紀』以外の文献、

ことに『記・紀』を作ったとされる天智天皇や天武天皇とは

何の利害関係もない、

3世紀中国の晋(シン)で編集された

『魏書倭人章』が、

非常に明瞭、

かつ正確に記録していた事実も改めてわかる。

そこに書かれた「伊声耆(イサンギ)」はまぎれもなく

イザナギの名乗りの証明で、

『古事記』の印色(イシキ)入日子。

『日本書紀』の五十瓊敷(イニシキ)入彦の命だとわかり、

載斯烏越(たいしオジウォ)は太子忍代で、

景行天皇の太子時代の呼び名であり、

掖邪狗(ヤジャカウ)は八坂入彦=ヤザカオウへの当て字だと、

完全に立証された。

『記・紀』は

この兄弟を氷羽洲(ヒハス)比売=日葉酢媛が、

印色入日子=五十瓊敷入彦。

大帯日子麻斯呂(オシロ)和気=大足彦天皇、

大中津日子=大中姫の順に生んだと書いているが、

3番目は性語尾が

「日子と姫」と、

『記』と『紀』で違っていて、

男か女かわからない。

だが明瞭にわかるのは、

長男のイザナギは天皇でなく、

次男が天皇だということである。

『参考』

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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
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