『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録14:13頁
よく注意して読むと、
それらは古代の木簡に書かれていた短い記録の記事を、
寄せ集めて継ぎ合わしたものでできていることが読み取れる。
だから元になった記録は今みる
『古事記』の通りのものではなくて、
バラバラになっていたものを継ぎ合わせたものだったことがわかるので、
この五瀬の命の項は前の槁根津日子の項とも、
それ以前の項とも、
必ずしも一連のものではなかったのだということを、
よく認識しておかないと、
正しい史実は見出だせない。
では、
この五瀬の命の部分は、
どんな史実を記録したものだったのだろうか?。
彼はその傷が悪化して和歌山で死に、
いまも窯(かま)山神社に祭られているが、
『古事記』は彼が海で血を洗ったから
「血沼(チヌ)の海」という名が生まれた、
という地名説話をつけ加えている。
そして紀之国の男の水門(みなと)で死んだので
窯山の陵に葬ったとある。
窯山神社は「陵」なのである。
だからそれは古墳時代の事件であって
3世紀より前ではなく、
ましてや紀元前660年当時の人ではないことが、
明確に記録されていることを見落としてはいけない。
すでに本講でもお話しし、拙著でも各所に、
神武天皇記事は複数の天皇たちの記録が混じり合っていることを、
証拠を挙げて指摘してきたが、
この五瀬の命の項は、
その事実をさらに際立(きわだ)たせて教え、
立証している貴重な部分なのである。
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
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