『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録13:27頁
これにまだ疑問のある方のため、もう一例あげておこう。
それは福島県大沼郡会津高田町にある伊佐須美神社で旧国幣中社である。
祭神は伊弉諾尊・伊弉冉尊とあるが。
その神社名がイサズミだから、
「石津女」でイザナミの尊の社である。
だがこんなところまで何代目かのイザナミの尊が
移動して来たのであろうか?。
社記によると崇神天皇のとき、
四道将軍に選ばれた大毘古の命が遠征して来て、
もう一人の四道将軍。
彼の王子の建沼河別の命とここで出会った。
だから地名を「相津」というのだという
『古事記』だけにある記事をひいて、
相津=会津で、ここがその地であり。
二人の命はその時、
伊弉諾・伊弉冉2尊を周囲の山々に祭ったが、
欽明天皇のとき現在地に移したのだという。
だから伊弉諾・伊弉冉尊がやって来たわけではない。
石の上神宮もイザナギなのだからといっても、
だから必ず伊弉諾の尊がやってきたとは限らない。
むしろ神霊を迎えて祭るのが、
全国の多数の八幡社で現実に実行されてきている。
だれが考えても3万も4万もの応神天皇が、
世襲して実在していたとは考えられない。
それらの八幡社は応神系の支配が次第に及んだ土地に、
鎮守として増築されてきたもので、
それと比例して八幡徒=ヤマトと呼ばれ自称する人々が殖えて、
拡散してきたのである。
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
歴史徒然
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ウワイト
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