2010年12月15日水曜日

仁徳天皇の偉大さを記録した霊ラインの実在

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録14:5頁

これは仁徳天皇と宇遅能和気郎子(ウチヌワキイラッコ)など、

他の天皇にも見られ、

長子は祭祀王になり、

次子が天皇になる原則があったことが見えてくる。

これはインドのバラモン教徒が最高位を祭祀王・梵天とし、

次位をクシャトリヤ=軍事王=皇帝とするカーストと同じだった。

これがわかると、

仁徳と宇遅能和気の皇位継承騒動の真相が、

正しく読めるようになる。

するとさらに、

大雀という当て字によって仁徳天皇の本来の地位がわかる。

雀はジャク、石もジャク、

オオは倭であり阿波であり淡だから、

そこの「石の王(イサナキ)」であり、

彼の皇后は「磐之姫=石津姫=イシズ女=イザナミ」なのだ。

堺には石津川がある。

これがわかると淡路島の伊弉諾神宮の祭神は、

世界最大の墓の持ち主=仁徳天皇の神社でなければならなくなる。

彼は一代で四国を平定して、

息子たちを淡路島へ送りこんだ英雄であり、

対岸の堺に巨大な陵をもつ偉大な存在だからである。

しかもその仁徳陵からはさらに

私の発見した霊ライン上に、

父の応神陵を経て、

大和を最初に占領した

倭王・武=雄略天皇陵(武烈陵とするのは誤り)、

御肇国=初国知らしし崇神天皇陵から、

はるか伊勢の皇大神宮まで

一度に拝める設計になっていて、

その霊域の間隔が

仁徳…11km…応神…22km…崇神…77km…元伊勢。

計110kmきっかりに築造してあり、

その起点は淡路島北端の岩鼻にある。

『参考』

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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
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