『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録14:5頁
これは仁徳天皇と宇遅能和気郎子(ウチヌワキイラッコ)など、
他の天皇にも見られ、
長子は祭祀王になり、
次子が天皇になる原則があったことが見えてくる。
これはインドのバラモン教徒が最高位を祭祀王・梵天とし、
次位をクシャトリヤ=軍事王=皇帝とするカーストと同じだった。
これがわかると、
仁徳と宇遅能和気の皇位継承騒動の真相が、
正しく読めるようになる。
するとさらに、
大雀という当て字によって仁徳天皇の本来の地位がわかる。
雀はジャク、石もジャク、
オオは倭であり阿波であり淡だから、
そこの「石の王(イサナキ)」であり、
彼の皇后は「磐之姫=石津姫=イシズ女=イザナミ」なのだ。
堺には石津川がある。
これがわかると淡路島の伊弉諾神宮の祭神は、
世界最大の墓の持ち主=仁徳天皇の神社でなければならなくなる。
彼は一代で四国を平定して、
息子たちを淡路島へ送りこんだ英雄であり、
対岸の堺に巨大な陵をもつ偉大な存在だからである。
しかもその仁徳陵からはさらに
私の発見した霊ライン上に、
父の応神陵を経て、
大和を最初に占領した
倭王・武=雄略天皇陵(武烈陵とするのは誤り)、
御肇国=初国知らしし崇神天皇陵から、
はるか伊勢の皇大神宮まで
一度に拝める設計になっていて、
その霊域の間隔が
仁徳…11km…応神…22km…崇神…77km…元伊勢。
計110kmきっかりに築造してあり、
その起点は淡路島北端の岩鼻にある。
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
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