『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録14:12頁
だから五瀬の命も磐余彦も本来は同じイザナギだった。
だが、兄も弟も同じイザナギでは、
兄のことか、弟のことか混乱して
わからなくなってしまうから、
兄を五瀬命、弟を磐余彦と書き分けたのだが、
学者がそれを個人名と錯覚したため真相がわからなくなり、
伊弉諾尊というのも、
ただ一人の神の名だと誤解してしまい、
それが『記・紀』を
根底からわけのわからないものにしてしまったのである。
このことに全く無知な者が「現代訳」などと称して、
未だに名乗りを、
誤読のままのカナ書きにしているのは、
彼らの恥だけでは済まない。
だから伊弉諾尊という名詞の、
本当の姿を知ることができたこの発見は、
『記・紀』そのものを立派な歴史書として
復活させた決定的発見だといっていい。
日本の古代史は、
これで初めて完全な史実復元を迎える飛躍的新段階に入ったのである。
これがわかかると、
次は五瀬命とは、
代々の伊弉諾尊のだれに当たるか、
確定する必要がある。
『古事記』は、
天皇兄弟の日向から吉備までの行程と年数を書いたあと、
速吸の門でのエピソードとして
槁(さお)根津日子が東征に加わった状況を詳しく書く。
そして改めて「浪速の渡」を経て、
青雲之白肩(シラカタ)津で
登美能那賀須泥毘古(トミのナカヅネビコ)に迎え撃たれて、
五瀬の命が手に負傷したことから南に転進し、
命が死んだことまで書く別段になっている。
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
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