『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録14:15頁
珍が占領して初めてチヌという地名や、
紀伊という国名が生まれたのであって、
それ以前には、そんな地名はなかった。
とすれば
「血を洗ったからチヌの海という名が生まれた」というのは、
地名の由来をムリに説明して見せようという、
見栄から生まれたコジつけだが、
その名が確かに付いているのは事実だから、
命名のきっかけを作った五瀬の命とは、
確かにイザナギの一人である倭王・珍、
すなわち、この木の国・紀伊に本当に攻めこんで、
それを所領に加えた、
固有名に「チヌ・キノ=珍」をもつ
倭の五王の2代目以外にはない。
彼は
仁徳皇弟・菟道稚郎子(ウチヌワカイラッコ)(紀)・
宇遅能若郎子(ウチノワカイラッコ)(記)で、
宇(ウ)=倭(オオ)。
チヌ=茅沼。
ワカ=和歌山。
郎子=皇子という名乗りが、
その地位の実態をよく表現している通りである。
父・応神天皇が彼を溺愛して、
彼に皇位を譲るために皇太子にしたと特記されているから、
名乗りの記録は失われていても、
彼が「御所の陛下=伊弉諾尊」だったことは間違いない。
だが沖縄発音のチヌは南九州発音の「ツナ」、
関西発音の「キノ」で紀伊(キ)の国まで取っているが、
その北の和泉は
「イズミ=倭済」すなわち
倭王・済になってからの領土。
その北の河内はまた、
倭王・興になってからの領土で、
ここでそれらの領土は、
高句麗長寿王=敏達天皇に奪われてしまい。
高句麗系の允恭天皇が君臨したこともわかっている。
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
歴史徒然
歴史学講座『創世』
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