2010年10月1日金曜日

神話や説話は史実の優れた表現法だった

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録11:12頁

だが、これまで『神話』と単純に分類していた学問が、

いかに不完全なものだったかも、すでにおわかりになっている。

それは神話と呼ばれたそのものが、史実を表現するための、

当時としては当然の「表現法」であり、

聴く者に理解しやすく、記憶しやすくする、

優れた教育法でもあったからである。

だから、それは単なる海外知識の受け売りではなく、

現実に起こった事件の記録法だったのである。

それは山上王位宮が魏軍との戦いに敗れて高句麗を脱出したとき、

鴨緑江海軍を率いていた

海人族の王・旦波の比古多多須美智能宇斯(ビチヌウシ)王の船で

琉球へ逃れたが、

それは位宮がビチヌウシに恩恵を施していた

報恩の行為だったことが琉球を竜宮に、

位宮を浦島太郎に、

ビチヌウシを亀に置き替えると鮮明に見えてくる。

高句麗はタカグニだから太カ国、その王だから太郎。

大国は沖縄~大隅語で

大=ウ、国=ラで「ウラ=浦」、「之国はシマで島」、

ビチヌウシはインドの最高神ビシュヌウのことで、

昆紐縫神(ビチュヌウシン)などの当て字があるから、

シをチと発音する沖縄語の影響で

美智能宇斯(ビチヌウシ)と書かれていることが分る。

このビシュヌウは

インドの創世記『乳海攪拌』では、

巨大な亀に変身して乳海の底に沈み、

巨大な回転軸マンダラ山を受ける軸受けになって、

不死の甘蕗をつくる。

だから美智能宇斯は亀なのだ。

これで神話や説話は史実の表現だと確信できるのである。

『参考』

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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
歴史徒然
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