2010年10月25日月曜日

品陀・誉田は架空の幻影名にすぎなかったか?

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録12:6頁

だとすると、品陀真若のマワカは「皮マ」が正しいから、

残る「トフ」が品陀になったことになるが、

それなら品陀も誉田もすべて架空の幻の名に過ぎなかったのだろうか?。

またこれまで到達した

「応神天皇の本名はポントスだ」という結論も間違っていたことになるが、

それもこれで消えてしまうのだろうか?。

一体どちらが正しいのだろう?。

これは、カワマトフ媛が、

応神天皇より前の皇后だった場合にだけ、語源なのであって、

同時か、以後の人物なら、当然、語源とはいえない。

なぜならポントスは古代ギリシャ以来の神名だから、

本都別誕生より以前からの実在は間違いないが、

懿徳天皇は、

いわゆる欠史天皇の一人で、

その皇妃たちも実在かどうかさえ疑わしいからである。

調べてみよう。

懿徳天皇の名乗りは大倭日子鉏(スキ)友(記)で、

その実体は、景行天皇の命令で倭建命と共に、

東方十二道を討ちに行った副将「御鉏友耳建日子」である。

御(オ)は大(ウ)・倭(オオ)で、

耳建日子は美称で、それも大半は後人がつけたものだから、

実名は「鉏友」だけだし、

またそれは世襲されていないから、

1人が2人に分裂してみえるものと見るしかない。

その反対に、倭建命は世襲されて幾人もの人が名乗っている。

その中で伊勢や焼津・筑波まで遠征したとすれば、

その人は景行時代どころか応神天皇よりも後の倭建命なのである。

『参考』

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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
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