『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録12:8頁
この吉備攻略を立証している証拠には、
『桃太郎』伝承の「吉備団子」がある。
団の字を取れば吉備子(えびす)。
「腰につけた吉備団子」は、
高句麗王・位宮が桃太郎のモデルだから
「高志につけた吉備の国」で、字形からいって
「吉備国子」が吉備団子の原形で、
位宮派が取った吉備の国の一帯を
犬・猿・雉子に領地として与えて味方に加えた、
ということになる。
とすれば先に卑弥呼派の鉏友が領有していた吉備を、
位宮派の邪馬壹国王が奪い取って、家臣らに分け与えたのが、
この吉備団子が登場する形の桃太郎伝承の本体であって、
吉備津彦・鉏友の側が「倭人=オニ」と呼ばれたのも当然である。
そこで吉備津彦らは
倭国(オオクニ)主=大国主と吉備津(エビズ)彦=エビスとして
北の出雲に去った。
これが出雲に大国主らが祭られ、吉備に吉備津彦が祭られ、
瀬戸内一帯に桃太郎伝承が分布している理由なのである。
桃太郎伝承はもともと位宮の卑弥呼政権攻めを寓話化したものだった。
しかしそれは南九州での事件で、瀬戸内とは関わりはなかった。
それが瀬戸内だけでなく、私たちがよく知る構成のものは、
青森県の八戸で採集されたものである。
これは最終的には大化改新と呼ばれてきた
大阪大戦による倭国政変で、
東へ北へと大移動した旧倭国人たちが運んだもので、
それは新たな事件の度に新たな描写が付け加えられた複合記録なのである。
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
歴史徒然
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