2010年10月9日土曜日

既得知能の総合で、詳細に復元できる史実

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録11:20頁

それは<壹與>がなぜ.?

新羅始祖王とされたかも教えてくれる。

彼女は『魏書倭人章』にはっきり

「卑弥呼の宗女」と明記されている。

宗女とは宗教上の後継者という意味であることは疑問の余地がない。

その<卑弥呼の宗教>・<鬼道>は、

すでに完全に解明ずみで細部までわかっている。

それは仏教であり、

<卑弥呼>とその後継者の<壹與>を観世音菩薩としたことまで、

決定的に結論が出ている。

それも単に文献の解読からだけでなく、

東アジア各地の言語や、地名や、伝承や、遺物、遺跡に至るまで、

徹底的に証拠が満ちみちている。

まず観世音(カンシーイン)の名そのものが

マレー語の愛・カシーへの当て字であり、

卑弥呼のパーリ語名ぺマカ=愛の訳音であり、

神功皇后廟の名・香椎だった。

その観世音信仰の分布と拡大の跡を辿っても、

それは中国で南海古仏と呼ばれて、

発生地を琉球列島とし、発生時期も卑弥呼当時にあてている。

そして『三国遺事』が

高麗外交官の中国での見聞として、

娘々(ニヤンニヤン)廟=観音廟を

我が国の信仰だと教えられたと記録している。

もちろん信仰の祖型はインドにあるが、

関連地名や、

そこにある観音信仰の本山は、

時代が全て卑弥呼以後のものである。

インドとの交通は決して西から東への一方通行ではなく、

従来の予測をはるかに超えた往来があったことも、

またこれでよくわかるのである。

『参考』

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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
歴史徒然
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