『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録12:11頁
船が白肩の津に着いた時、楯をもって降りたのでそこを楯津という。
兄の五瀬の命が手に矢が刺さったので、
その血を洗ったから血沼(ちぬ)海という。
しかし命は亡くなった、
その時、命が男(お)たけびして死んだので、
そこを男(お)の水門(みなと)という。
敵が鳴り鏑(かぶら)で射返したので、
それが落ちた所を河夫羅前(かぶらぎき)という。
敵の死骸を斬り散らしたので宇陀の血原という。
といった調子で地名が、
そこで起こった事件の生きた証人だという立証法になっている。
この筆法は地名を歴史の復元に使うという点では、
私たちの言語復原史学の大先輩だといわねばならない。
しかし、そんな事件があったから、
こんな名が生まれたのだというが、
白肩は枚方以外には該当地がなく、
そこと盾津とは大き離れている。
チヌの海の名も倭王・珍と淡路島の津名のほうが
語源だと確認済みである。
河夫羅前(かぶらぎき)に至っては古来、該当する地名もない。
こうしたことは、地名の由来が史実に由来していると主張して、
だからこの記事は史実なんだと信じさせる目的で書かれたものだが、
昔の人なら知らず現在の私たちの知性をだますことはできない。
だがこれは、
千数百年前に遺跡や地名や伝承が
文化財として史実の立証に役立つということを知っていた
私たちの先祖の、
高い文化を記録していることを見逃してはいけない。
それが不純な目的のためにコジツケに終わるしかなかっただけなのである。
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
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