『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録12:9頁
だから、その鉏友の名乗り大倭日子(『古事記』)は、
『日本書紀』が書く「大日本彦」のほうが「オカモトヒコ」と読めて、
大日如来=ウカノミタマの化身・岡の大王を意味することがわかり、
岡山というのも、その中心=大本山を意味する地名だとわかる。
しかしこのことだけでも、
卑弥呼の男弟勢力=九州と朝鮮半島にまたがった倭国連邦の、
いわゆる卑弥呼政権が、
垂仁天皇・位宮と壹與の邪馬壹国新政権に倒されて追われたあと、
山陽経由で東遷したことが、
詳細に証明されている事実を、よく記憶する必要がある。
では残る名乗り「鉏友」とは何を意味するのか?.
鉏は古音「サカ」で佐賀と同じものだから伊都国付近を意味する。
またその「サカ」が、この人たちの集団の出発点を示すことは、
「サカ⇒サタ」について本講でも詳しくお話しした。
「友」は「トモ」という発音の地名だから、
広島県の東瑞・福山市の鞆(とも)の浦で、
その鞆は応神天皇の幼名「大鞆別」にも合うし、
すぐ目の前に皇后島という小島もあるから、
天皇の遺跡にふさわしく、
現実にその皇后とは神功皇后のことだ上いう伝承が、
そのあたりの瀬戸内一帯に分布している。
これで宇佐から四国⇒淡路島と進んだ倭の五王系と、
それ以前に山陽経由で東へ先行した卑弥呼系と、
それを追った邪馬壹国系の、
複合した東征の実情がご理解いただけたと思う。
『参考』
翻訳と辞書 [無料]
リンクフリー〔UTF-8 対応版〕
小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
歴史徒然
歴史回廊
ウワイト
0 件のコメント:
コメントを投稿