2010年10月29日金曜日

『記・紀』編纂の目的が凝集している神武天皇記

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録12:10頁

ところが『記・紀』はそれらを、

1度きりの神武東征だったとしている。

それは何故か?。

紀元前660年という太古に建国して以来一度も革命などなかった。

我が国は神仏に加護された東海の聖地。

万世一系をつらぬいてきた聖人君子国であると強調することで、

中国の征服欲をスポイルしようというのが、

天武天皇らの『記・紀』編纂の主目的だったからである。

彼らが正統の皇族であり、主権者だというのは国内向けの主張で、

これは弘文天皇(伊賀大友皇子)を倒して

政権を取った現実が周知のものである以上、

実力が決定することであり、

いくら血統を主張しても何にもならない。

だからこちらは副目的でしかなかったのだ。

そのために神武天皇の記事は、

いかに南九州から奈良まで、

一挙に大移動して首都を確保したかというスタイルに仕上げられた。

前段は東征コースの地名の羅列が芯になっている。

高千穂の宮。

豊国宇沙。

竺紫岡田の宮。

阿岐多祁理の宮。

吉備高島の宮。

速吸門。

浪速の渡。

白肩の津。

楯津。

日下。

血沼の海。

紀国男の水門。

熊野村。

葦原中国。

吉野河。

阿陀。

しかしそれだけでは史書の体裁をなさないので、

要所要所の地名に由来を書き加えてある。

それは今、

私たちが地名を「史実の証拠」として使うのと

同じ発想に基づいている。

ところがよく見ると、

神武天皇記の全文がそれだけで終わっているといっていい。

『参考』

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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
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