『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録11:24頁
こう見てくると、
与那国から出発したギリシャ人勢力が、
イナと方言化して呼ばれながらも、
山陰から岐阜県にまで達していたことが跡付けられた。
しかしそのコースは四国~淡路島経由ではない。
明らかに山陰経由である。
これはギリシャ人の東遷といっても、それは単純ではなく、
複数のグループがあったという証拠である。
山陰経由のものは浦島伝承をもっているから
明らかに位宮・垂仁系だが、
淡路島の倭の五王系はそれを持たないグループだ。
こちらは本当に与那国系なんだろうか?…。
それに明確に答えるのが、右の写真である。
これは沖縄の石垣市が作った
『八重山の旅』という観光案内書に掲載された与那国島の
「立神岩」の写真である。
これは確かに九州を経て淡路島まで達している。
「写真」
与那国島の[立神岩]:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8E%E9%82%A3%E5%9B%BD%E5%B3%B6
上立神岩 沼島:http://www10.ocn.ne.jp/~veeten/iwakura/kamitategamiiwa.html
『参考』
翻訳と辞書 [無料]
リンクフリー〔UTF-8 対応版〕
小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
歴史徒然
歴史回廊
ウワイト
0 件のコメント:
コメントを投稿