2010年10月13日水曜日

[立神岩]の分布は何を復元するか?

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録11:24頁

こう見てくると、

与那国から出発したギリシャ人勢力が、

イナと方言化して呼ばれながらも、

山陰から岐阜県にまで達していたことが跡付けられた。

しかしそのコースは四国~淡路島経由ではない。

明らかに山陰経由である。

これはギリシャ人の東遷といっても、それは単純ではなく、

複数のグループがあったという証拠である。

山陰経由のものは浦島伝承をもっているから

明らかに位宮・垂仁系だが、

淡路島の倭の五王系はそれを持たないグループだ。

こちらは本当に与那国系なんだろうか?…。

それに明確に答えるのが、右の写真である。

これは沖縄の石垣市が作った

『八重山の旅』という観光案内書に掲載された与那国島の

「立神岩」の写真である。

これは確かに九州を経て淡路島まで達している。

「写真」

与那国島の[立神岩]:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8E%E9%82%A3%E5%9B%BD%E5%B3%B6

上立神岩 沼島:http://www10.ocn.ne.jp/~veeten/iwakura/kamitategamiiwa.html

『参考』

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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
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