『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録11:15頁
また、
スサノオは海の支配者で、
ポントスも海の支配者である。
それも瀬戸内海のような小さな海ではない。
広大な「海洋」の支配者なのである。
この事実はうっかり見逃すことはできない。
なぜか?。
過去の日本史家は、
こうした事実に全然無知だったから
垂仁天皇親子を全く海のない奈良県の住民にして平気でいた。
そして竜宮城でもある狭穂を奈良市にある佐保だと主張して、
その無知を恥かしいとも思わなかった。
これでは、
オオヒルメである壹與は船にも乗れず、
幼い八幡を背中に負い、
山道を歩いて来るしか方法がないから
『大隅正八幡縁起』はニセ物だということになる。
しかしそれでは「狭い」を
アイヌ語で「タンネ」と表現したことが
島名の語源である「種子島」も、
ポセイドンから始まった海洋国を意味する
「百・日・穂」などのホの国も、
みな、奈良市の佐保にあったことになって、
とても日本の古代史の解明など、出来そうもなくなる。
また考古学者らも、
その佐保付近に垂仁天皇=位宮陵や、神功皇后=壹與陵があるからと、
大和朝廷は紀元前後に奈良に誕生したと教えているが、
彼らの頭には南九州の田舎者・神武天皇が奈良へ侵入して、
土民の村長らを倒して侵略したのだ、という建国史観だけしかなく、
天皇家とはその田舎のオッサンの子孫だと、
今も国民を教育し続けている惨状なのだ。
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
歴史徒然
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