2010年10月4日月曜日

奈良に竜宮があり海洋王がいたとする恥辱的史学

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録11:15頁

また、

スサノオは海の支配者で、

ポントスも海の支配者である。

それも瀬戸内海のような小さな海ではない。

広大な「海洋」の支配者なのである。

この事実はうっかり見逃すことはできない。

なぜか?。

過去の日本史家は、

こうした事実に全然無知だったから

垂仁天皇親子を全く海のない奈良県の住民にして平気でいた。

そして竜宮城でもある狭穂を奈良市にある佐保だと主張して、

その無知を恥かしいとも思わなかった。

これでは、

オオヒルメである壹與は船にも乗れず、

幼い八幡を背中に負い、

山道を歩いて来るしか方法がないから

『大隅正八幡縁起』はニセ物だということになる。

しかしそれでは「狭い」を

アイヌ語で「タンネ」と表現したことが

島名の語源である「種子島」も、

ポセイドンから始まった海洋国を意味する

「百・日・穂」などのホの国も、

みな、奈良市の佐保にあったことになって、

とても日本の古代史の解明など、出来そうもなくなる。

また考古学者らも、

その佐保付近に垂仁天皇=位宮陵や、神功皇后=壹與陵があるからと、

大和朝廷は紀元前後に奈良に誕生したと教えているが、

彼らの頭には南九州の田舎者・神武天皇が奈良へ侵入して、

土民の村長らを倒して侵略したのだ、という建国史観だけしかなく、

天皇家とはその田舎のオッサンの子孫だと、

今も国民を教育し続けている惨状なのだ。

『参考』

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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
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