『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録11:16頁
それは西方の大文明が大量に入っていた事実など、
想像する能力さえない証拠なのである。
世人に一流の知性人と尊敬されている
「大学教授」の肩書きをもつ人々でさえ、
そんな有様では、一般の国民はなおのこと、
古代日本にギリシャ人やパーリ語を話す人々が
来ていたと信じられなくても当然としか言いようがないが、
それらの人々にも納得のいくように、
まず日本列島の中に、はっきり残っている、
ギリシャ語圏の移動拡大から跡づけてみよう。
パーリ語で「ヨーナ」はギリシャ人のこと。
その本当の意味はイオニヤというギリシャ語が
「イオン=行く・移る・拓(ひら)く。イァ・ヤ=国・土地」で、
「開拓者の国=移住者の国」を意味することからイオニヤンと
自称していたギリシャから来た人々を、
インドのシヤカ人やマガダ国人などパーリ語系の言葉を話す人々は、
『ヨーナ人・ヨーニヤン』と呼んでいた。
この名詞語尾のヤンは静岡県以西で
「○○君」を「○○やん」というのと同形で、
パーリ語が我が国に入ってきて、
使用されていたことを立証している貴重な遺物なのである。
今なら、こんなふうに細かく意味を考えて名詞化するのだが、
当時はそれがギリシャ人を指す唯一の代名詞だったから、
パーリ人たちはヨーナを人種名として使っていたのである。
それが台湾経由で日本列島への取っ掛かりの島に、
今も与那国島として残っているのだ。
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
歴史徒然
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ウワイト
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