『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録11:17頁
だからそれは日本列島における
ギリシャ人居住の最初の遺跡でもある。
沖縄列島の最西端は日本の最西端である、
そこを出発点として、
日本列島の中に残っている
そのパーリ語圏とギリシャ語圏の移動拡大の跡を、
フリップ化してたどってみよう。
1 与那国島 ヨナグニジマ その東、約200kmの宮古島と那覇市の 隣り南風原(ハイハラ)村に
2、3 与那覇 ヨナハ という2つの字がある。その東隣りが
4 与耶原 ヨナハラ 町だ、広さは4平方kmだが人ロは 12000人を超える。
5、6 与那城 ヨナグスク はその北隣りの西席村の字(あざ)と、 その北東20kmにある半島
このうちの与那原で、後の邪馬壹国女王壹與が即位したことも、
すでによくご存じである。
それは『三国史記』が新羅始祖王の赫居世として壹與を記録し、
彼女が<徐那伐>で即位したと記録しているが、
これは<ヨナバル>という発音で、
<与那原>を北九州語で発音したものに
朝鮮語で当て字したものだからである。
このことは他にも多くの証拠を残している。
壹與が新羅の初代女王だということは
神功皇后の関係記事が真実である証拠であり、
彼女らがパーリ語を話したこと。
赫夜姫と重ねると彼女は金髪のギリシャ人だったこと。
などなど……。
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
歴史徒然
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