2014年3月31日月曜日

絹の産地セリカ(3)


 『Yahoo!天気・災害』
 Matのジオログ

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:560頁

 第十章 天毒とセリカ

 絹の産地セリカ(3)

  ここで注目したいのは

 「黄金と白銀とで宮殿を造っている」という一節である。

 白銀の「白」は清時代の解釈により入れられたもので、

 本来は「銀」であったらしい。

 この伝説が漢の時代になって渡来するようになった

 インドの商人たちに伝えられた痕跡がある。

 それが、また西方のローマへ伝えられることとなった。

 古代ローマの

 ポンピニウス・メラガクラウディウヌ帝(紀元41-54年)に

 東方の絹の産地について書いたものの中に、

 セリカの南のインドの辺りに二つの新しい島があって、

 その名前がクリゼ島とアルジレ島である、という。

 そして

 「名前が事実からか、

  いい伝えが名前からか、

  どちらにしても、

  その土地の一方が金で出来ていて、

  もう一方は銀で出来ている」と述べている。

 クリゼ島名はギリシャ語の χρυσός (金)、

 アルジレ島名は ασήμι(銀)に依拠する。

 また、サンスクリット語の krśana(黄金、宝石) 、

 arjuna(銀、銀の、白い) に対応する。

 これらは伝説に始まったことであり、

 比定地を想定することは無意味である。

 だが、セリカは確かな地域名として想定される。

 『参考』

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 古代史獺祭


 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部


 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 アルパチア遺跡出土の碗形土器

 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

2014年3月30日日曜日

絹の産地セリカ(2)


 『Yahoo!天気・災害』
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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:559頁

 第十章 天毒とセリカ

 絹の産地セリカ(2)

  このような情景は、現代の知識で解釈すると、

 蜃気楼を反映させたものであることが容易に推察できる。

 斉国は「禹貢」にいう青洲、山東半島地域に周の時代

 紀元前7世紀から3世紀まで

 秦が九州を統一するまで続いた国で、

 渤海湾に面している。

 そのためシナ海方面の情報を得ていたものである。

 三神山名について、

 現在どの地を指しているのか明らかでない。

 蜃気楼との解釈を含めて、あくまで伝説と謂わざるを得ない。

 三神山については、史記「秦始皇帝本紀」にも

 「海中の三神山有り、名づけて蓬莱、方丈、瀛州といふ。

  僊人之に居る」とある。

 僊人は仙人であろう。

 史記が成立したのは紀元前1世紀のことで、

 これらの情報はしれ以前のものと言える。

 《参考》

 史記 卷六 秦始皇本紀第六 始皇帝二十八年 (抜粋1)

(原文)

 齊人徐市等上書言 海中有三神山 名曰蓬莱 方丈 瀛洲 

 僊人居之 請得齋戒 與童男女求之 於是遣徐市發童男女數千人

 入海求僊人

(読み下し)

 齊人徐市(じょふつ)等上書して言う

 「海中に三神山有り。

  名を蓬莱(ほうらい)、方丈(ほうじょう)、瀛洲(えいしゅう)、

  と曰う。

  僊人(せんじん=仙人)之に居す。

  請う齋戒を得て、童男女と之を求めんことを」。

 是に於て徐市を遣わし、童男女數千人を發(つか)わして、

 海に入りて僊人を求む。

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 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部


 『参考』
 Tell Arpachiyah (Iraq) 
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 ハブール川
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、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
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2014年3月29日土曜日

絹の産地セリカ(1)


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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:558頁

 第十章 天毒とセリカ

 絹の産地セリカ(1)

  これは伝説である。

 史記「封禅書」に次のような記載がある。

 明治書院漢文新釈大系から取る。

  〔三神山〕(斉の)威王・宣王、燕の照王から、

  人をやって海に入り、

  蓬莱・方丈・瀛州(という三つの神仙)を

  捜させるということが始まった。

  この三神仙は、言い伝えに由れば、

  渤海のなかにあって、さほど遠いところではない。

  ただ、今にも行き着くかと思うと時に、

  船が風に引かれるままに、離れてしまうのが、

  いかにも残念なのである。

  つまり、昔には行きつけていたものがいたようで、

  そこには諸の仙人達も居れば、不死の薬もあって、

  そこにあるもの鳥、獣まで白一色で、

  黄金と白銀とで宮殿をつくっている。

  そこまで行かぬうちに遠く望めば雲のようであり、

  そこまで行ってみると三神山はかえって水の下にあり、

  それを 覗き込むと、

  決まって風が船を引いて離してしまい、

  結局、誰も行き着くことができなかった。

  という。 

 《Key Word》

 史記
 「封禅書」
 
 蓬莱

 『参考』
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 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
]
 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部


 『参考』
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2014年3月23日日曜日

姑射と偎人(9)


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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:557頁

 第十章 天毒とセリカ

 姑射と偎人(9)

  古事記の清寧天皇の段に歌垣は登場する。

  平群臣(へぐりのおみ)の祖、名は志毘臣(しびのおみ)、

  歌垣に立ちて、

  其の袁祁(をぎ)命の婚(よば)はむとし賜ふ美人の手を取りき、

  其の孃子(むすめ)は、菟田首(うだのおびと)等の女、

  名は大魚(おほうお)なり。

  爾に袁祁命も亦歌垣にに立ち給ひき。(略)

  また「常陸国風土記」筑波郡にも歌垣の様子が載る。

  筑波岳は、(中略)坂より東の諸国の男女、

  春の花の開くる時、秋の葉の黄(もみ)づる節、

  相携ひ騈闐(つらな)り、飲食を齎賫(もちき)て、

  騎(うま) に歩に登臨(のぼ)り、

  遊楽(たの)しみ栖遅(あそ)ぶ。

 同風土記は続いて歌謡を記述しているが、ここでは除く。

 このように古代の日本にも

 農耕儀礼としての歌垣は伝えられていた。

 山海経の列姑射の「列」は哈尼族の祭りを表す。

 「ロー」に依るもので

 「ロー・クン・シー」が

 列姑射と音写された「新畑祭」の語義である。

 
  韓と日本には共通の倭族文化が伝播しているのである。

 姑射とは倭族が韓半島と日本の南部に

 開拓した新天地の名称である。

 山海経海内に記された「偎人」の

 「偎」は wei で

 倭 wei (委 wei) と同音であり、

 結局そこに倭人が居住していたことを

 示唆しているのである。

 因みに「委」とは稲作の豊作を祈って

 歌舞(歌垣) する女の姿を表わし、

 お多福の仮面で知られる。

 「阿亀」は委を崩し
 
 「お禾女」とした「稲の女」に依るものである。

 《参考》

 ホーム常陸国風土記を訪ねる

 筑波郡

 夫れ筑波の岳は、高く山に秀で、最頂は西の峰崢嶸しく、

 これを雄の神と謂ひて、登臨らしめず。

 但し、東の峰は、四方磐石にして、昇り降りは坱圠ならずも、

 其の側に流泉ありて冬も夏も絶えず。

 坂より已東の諸国の男女、

 春は花の開ける時、秋は葉の黄づる節、相携ひ騈闐り、

 飲食を齎賫し、騎に歩に登臨り、遊楽び栖遅へり。

 其の唱に曰はく、

 筑波嶺に会はむと云ひし子は誰が言聞けば

 かみ寝会はずけむ筑波嶺に廬りて

 妻無しに我が寝む夜ろは早も明けぬかも詠へる歌甚多くして、

 載車るに勝へず。

 俗の諺に云はく、筑波嶺の会に娉の財を得ざれば、

 児女とせずといへり。

 『夫女ヶ石(ぶじょがいし)』

 筑波山の南斜面、筑波ふれあいの里内にある2つの巨岩で、

 それぞれの岩は男女を示すとされる。

 この付近で男女が集って歌を掛け合い饗宴する

 「嬥歌(歌垣)」が行われたと伝承されている。

 『常陸国風土記』筑波郡の条で、

 筑波山に関東中から男女が集って

 嬥歌が行われた様子が記されている。

 歌垣
 歌垣
 歌垣

 『参考』
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 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  
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2014年3月22日土曜日

姑射と偎人(8)


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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:556頁

 第十章 天毒とセリカ

 姑射と偎人(8)

  この情景は明らかに歌垣 con-ci の様子で、

 今でも雲南省の少数民族の重要な祭事である。

  con-ci は「新しい畑」 であるクン・シーを

 祖語としているとみられる。

 かっては揚子江の沿岸地方でも行われていた様子が

 詩経「国風」や「江蘇歳時記」などにみられるが、

 ここでは触れない。

 ただ、現在

 ベトナム、ラオス、カンボジアをコーチシナと総称するが、

 これはかってフランスの植民地に使われた用語でもあるが、

 本来は越族の居住していた南シナ海沿岸の

 交跡(こうち)という漢代の呼称に始まる。

 交跡は「足を交差させる」意味で舞踊を表す。

 第一章で天鈿女命を説明した際に「インドの踊子像」を紹介したが、

 彼女はやはり足を交差させていた。

 この交跡は歌垣を表し、蜀からやってきた倭(粤)族である

 ベトナム人もその伝統を携えて来たのである。

 そして韓半島へ移動した倭人も祭事に歌垣を行ったのである。


 「インドの踊子像」

 
 《Key Word》

 「インドの踊子像」
 「インドの踊子像」

 詩経「国風」
 詩経「国風」
 「江蘇歳時記」
 「江蘇歳時記」

 歌垣
 歌垣
 歌垣

 交跡(こうち)焼
 江蘇省蘇州市で日本の夏祭りが開催

 「インドの踊子像」


 『参考』
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 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部



 『参考』
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、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
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2014年3月21日金曜日

姑射と偎人(7)


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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:555頁

 第十章 天毒とセリカ

 姑射と偎人(7)

  魏書より前の

 「三国志韓伝」には次のような興味ある情報も載せている。

 「後漢書韓伝」にも同様の祭事についての記述があるが

 こちらの方が詳しいので紹介する。

  毎年五月には種を播き終わり、鬼神を祭る。

  人々は群がり聚まって歌舞し飲食する。

  〔それは〕昼夜を通じて休まず行われ、

  その舞は、数十人が一緒に立ち上がって調子を合わせ、

  地を踏むのに、足を低く又は高く挙げ、

  手と足とは同じような調子で動き、

  そのリズムは中国の鐸舞に似たところがある。

  十月に農耕が終われば、また再び同じようにする。

 《Key Word》

 三国志 魏書 韓傳(4)

 常以五月下種訖祭鬼神羣聚歌舞飲酒晝夜無休

 其舞數十人倶起相隨踏地低昂手足相應節奏有似鐸舞

 十月農功畢亦復如之信鬼神國邑各立一人主祭天神名之天君

 又諸國各有別邑名之為蘇塗

 立大木縣鈴鼓事鬼神

 諸亡逃至其中皆不還之好作賊其立

 蘇塗之義有似浮屠而所行善悪有異

 其北方近郡諸國差暁禮俗其遠處直如 
 
 囚徒奴婢相聚無他珍寶禽獣草木略與中國同

 出大栗大如梨

 又出細尾雞其尾皆長五尺餘其男子時時有文身


 常に五月種下き訖るを以て、鬼神を祭り、羣聚歌舞し、

 酒を飲み晝夜休むこと無し。

 其の舞、數十人倶に起ち相隨ひ、地を踏んで低く昂き、

 手足相應じ、節奏に鐸舞に似たる有り。

 十月農功畢はり、亦復之の如くす。

 鬼神を信じ、國邑各一人を立てて天神を主祭す、之を天君と名づく。

 又諸國各別邑有り、之を名づけて蘇塗と為す。

 大木を立てて、鈴鼓を縣け、鬼神に事ふ。

 諸の亡逃其中に至れば、皆之を還さず、賊を作すを好む。

 其の蘇塗を立つるの義、浮屠に似る有り、

 而して行ふ所の善悪に異なる有り。

 其の北方近郡の諸國差禮俗を暁るも、

 其の遠き處は直だ囚徒奴婢相聚まるが如し。

 他の珍寶無く、禽獣草木略中國と同じくす。

 大栗を出し、大なること梨の如し。

 又、細尾雞を出だす、其の尾皆五尺餘の長さなり。

 其の男子時時文身有り。

 『参考』
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 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
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2014年3月20日木曜日

姑射と偎人(6)


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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:554頁

 第十章 天毒とセリカ

 姑射と偎人(6)

  雲南省の少数民族、

 特に(和)族、ベトナム人である越族、

 日本人の間にみられる民俗学的に共通の習慣を指摘しておきたい。

 それは食事をする時に

 箸を右手に持ち、左手に御飯を入れた碗を持って、

 食べる際は碗を口に近づけて口に運び込む方法である。

 箸の使用については東アジアに広く用いられている用具であるが、
 
 碗を持つ習慣は一般的ではない。

 雲南省の彝族など、ベトナム人、そして日本だけに限られており、

 それらの人々の間の文化的親近性を示すものである。

 彼等が日本の古代稲作、絹の技術を繁殖させた

 倭人の仲間であることを指摘しておきたい。

 韓半島において姑射は

 「古資」「古嗟」あるいは狗邪として史書に現れる。

 「三国志魏書弁辰伝」に登場する

 弁辰古資弥凍国、弁辰狗邪国がそれである。

 赤米の耕作された地域である。

 同史書は

 「土地は肥沃で五穀や稲を植えるのに適している。

  蚕を飼い桑を植えることを知っていて、

  縑布を作り、牛馬に乗る」と記述するように

 倭族の特徴である稲作と養蚕を積極的に行っていた様子がみられる。

 『参考』
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姑射と偎人(5)


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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:553頁

 第十章 天毒とセリカ

 姑射と偎人(5)
 
  高知県の土佐郡名をもつ「チェシェ」と祖語を

 同じくすると考えられる。

 土佐は豆酘とも訓音が近く、

 土佐一の宮で延喜式神名帳「土佐郡」に

 「都佐坐神社大」と記載された現土佐神社は

 「志奈禰さま」「志奈柞さま」と親しまれているが、

 この志奈は「椎」で杵を表わし、稲の意味となり、

 米作に係わる名称である。

 「柞(さく)」は稲の植付け

 或いは稲のゆれるさまを言ったものである。

 土佐神社の鎮座する高知市内には「秦」のつく地名があり、

 これは本来の「稲」を表わす漢語の直接的使用である。

 《Key Word》

 土佐神社
 土佐神社
 土佐神社

 志奈禰様
 志奈禰様

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 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部


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 ハラフ期の土器について
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 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
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2014年3月19日水曜日

姑射と偎人(4)


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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:552頁

 第十章 天毒とセリカ

 姑射と偎人(4)

 この地域は明らかに古代の韓の国域である。

 鹿児島県揖宿郡、指宿市は「イブスキ」として

 奈良時代から知られる。

 指宿市池田には玖珏神社が鎮座するが、

 玖珏は玖珠でクン・シーに相当する。

 揖宿郡の隣り川辺郡知覧町の瀬世も祖語はチェシャである。

 喜入町の瀬々串は「赤米新田」となる。

 喜入は「和名類聚抄」に「給黎(きれい)郷」と記されているが、

 黎は「のり、ねばり」の意味で

 「糯」つまり「もちごめ」を表わしているとみられる、

 「きれい」はまた「きらい」とも読める。

 「ヤ」はチェシャの「チェ」と同義で「米」 をいい、

 知覧の「チラン」に対応し、喜入、知覧ともに

 「もうごめん」の意味とみられる。

  タイ族は四川盆地から南下した米作民族である。

 彼等の仲間は貴州省と広東省の間に

 広西壮族自治区を形成する民族集団である。

 「壮族」は一般にチュワン zhuan と呼ばれ、

 田陽市がある通り田 tian と同義の農園を表わす。

 タイ族は、中国、ラオス、ベトナムのタイ族などを合わせると

 一億人を超し、日本の人口と匹敵する大民族である。

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姑射と偎人(3)


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 牛角と祝祭・その民族系譜:551頁

 第十章 天毒とセリカ

 姑射と偎人(3)

  長崎県対馬郡厳原町の西南端に豆酘(つつ)地区があり、

 そこでは今でも赤米をを神格として祝っているが、

 その地名「つつ」は「ウルチ赤米」である

 「チェシャ」と祖語を同じくするものである。

 多久頭魂神社(たくずだまじんじゃ)、

 高御魂(たかみむすび)神社がその鎮守社で、

 後者が神田の大明神と称されるように神田があり、

 年々「下肥を入れない清浄な田圃である神田」で

 採れた赤米を頭屋制により守り、

 旧正月の十日の夜頭屋から次の年の頭屋へ赤米の入った俵を

 渡す神事が行われている。

 このことにより古来の種の保存が続けられ、

 祀られているのである。

 「チェ」が米の語義である。

  赤米はインディカ型の米で、日本では近世の末まで

 西日本に多く栽培されていた。

 嵐嘉一「日本赤米考」によると、

 特に九州の南部、

 四国の南部、

 紀伊半島の南西部に多く見られた。

 また韓半島においても

 1930年の調査では半島の南部、

 特に洛東江の本支流域にその残存が多く、

 白米に混入する場合が多かったという。
 
 《Key Word》

 嵐嘉一「日本赤米考」
 赤米
 赤米
 ウルチ赤米
 インディカ型の米

 多久頭魂神社

 高御魂(たかみむすび)神社

 長崎県対馬郡厳原町

 頭屋

 洛東江の本支流域

 『参考』
 前人未到の道を行く - 邪馬台国・奇跡の解法 - Gooブログ
 古代史獺祭


 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部


 『参考』
 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 アルパチア遺跡出土の碗形土器

 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ