2014年3月4日火曜日

漢書の海洋交易網(5)


 『Yahoo!天気・災害』
 Matのジオログ

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 旧約聖書「創世記」:牛角と祝祭・その民族系譜:531頁

 第十章 天毒とセリカ

 漢書の海洋交易網(5)

 (4)夫甘都盧国(湛離国から陸路十日あまり)

  当時ペルシャを支配していたぺルチア王国首都

 Hecatompylos のことである。

 同市は内陸カスピ海の南東に位置する。

 インドの sura-shila から陸路で十日では到達できない。

 その表記に「十日」あるいは「何十日」などの

 誤写か欠字があるとみられる。

 (5)黄支国(夫甘都盧国から船で二ヶ月以上)

  船で二ヶ月以上行くとは、

 ヘカトンピロスからカスピ海の東岸から船出して西岸に至る

 旅程を含むものである。

 現在の Bandar-shah から Bandare-Pahlavi 方面の水上交通は

 現在においても重要な航路である。

 黄支は紀元2世紀当時ローマ帝国の支配下にあった 

 Antiochiya のことで、現在の Antakya を指すとみられる。

 黄支は -ochi- の音写である。

 漢書大宛列伝では「条枝」と表現された。

 これはアンチオキアに首都を置いていたセレウコウス

 Seleucos 朝名の転訛である。

 同市はローマの東方支配の拠点都市であった。

 ヘカトンピロスからは

 カスピ海の水路と陸路を合わせての行程と解釈される。

 《Key Word》

 漢書大宛列伝

 「漢書」地理誌地名の比定

 日南   :ベトナム北~中部

 都元国  :シンハラ国(現スリランカ)の港 Dehiwala と考えられる。

 邑盧没国 :インド亜大陸西海岸ムンバイ付近

 湛離国  :Surat(紀元2世紀頃は sura-shila と呼ばれた。)

 夫甘都盧国:ペルシャのぺルチア王国の首都 Hecatompylos

 黄支国  :Antakya を指す。

       紀元2世紀当時ローマ帝国の支配化にあった

       Antiochiya


 『Yahoo!天気・災害』
 Matのジオログ

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 旧約聖書「創世記」:牛角と祝祭・その民族系譜:531頁

 第十章 天毒とセリカ

 漢書の海洋交易網(5)

 (4)夫甘都盧国(湛離国から陸路十日あまり)

  当時ペルシャを支配していたぺルチア王国首都

 Hecatompylos のことである。

 同市は内陸カスピ海の南東に位置する。

 インドの sura-shila から陸路で十日では到達できない。

 その表記に「十日」あるいは「何十日」などの

 誤写か欠字があるとみられる。

 (5)黄支国(夫甘都盧国から船で二ヶ月以上)

  船で二ヶ月以上行くとは、

 ヘカトンピロスからカスピ海の東岸から船出して西岸に至る

 旅程を含むものである。

 現在の Bandar-shah から Bandare-Pahlavi 方面の水上交通は

 現在においても重要な航路である。

 黄支は紀元2世紀当時ローマ帝国の支配下にあった 

 Antiochiya のことで、現在の Antakya を指すとみられる。

 黄支は -ochi- の音写である。

 漢書大宛列伝では「条枝」と表現された。

 これはアンチオキアに首都を置いていたセレウコウス

 Seleucos 朝名の転訛である。

 同市はローマの東方支配の拠点都市であった。

 ヘカトンピロスからは

 カスピ海の水路と陸路を合わせての行程と解釈される。

 《Key Word》

 漢書大宛列伝

 「漢書」地理誌地名の比定

 日南   :ベトナム北~中部

 都元国  :シンハラ国(現スリランカ)の港 Dehiwala と考えられる。

 邑盧没国 :インド亜大陸西海岸ムンバイ付近

 湛離国  :Surat(紀元2世紀頃は sura-shila と呼ばれた。)

 夫甘都盧国:ペルシャのぺルチア王国の首都 Hecatompylos

 黄支国  :Antakya を指す。

       紀元2世紀当時ローマ帝国の支配化にあった

       Antiochiya

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部



 『参考』
 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 アルパチア遺跡出土の碗形土器

 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ
 『参考』
 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 アルパチア遺跡出土の碗形土器

 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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