2014年3月7日金曜日

インドの海洋交易商人(2)


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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:534頁

 第十章 天毒とセリカ

 インドの海洋交易商人(2)

 そして紀元前3世紀頃になると

 アーリア人の海洋交易商人が登場し、

 彼等は同業者社会 shabā を組織し、

 活発に海外貿易に乗り出すようになった。

 紀元後には遠洋航海についての記述も

 経典などの史料にみられるようになる。

 大海に入って貿易することは厖大な利益を生み、

 末代まで楽に生活できる富を得られるとか、

 貧しい人々の生活を改善するためには
 
 海外貿易を行って得た財力で策を講ずるなどの記述がある。

 また、遠洋航海のための労働者が育ってきた。

 中村元の「インド古代史」には「増壱阿舎教」に載る

 ベナレスの商人の物語が紹介されているが、

 そこに航海技術者として

 「諸の船舶を備え、また五人を雇いぬ。

  其の五人とは一は船を執り、二は棹を接し、

  三は漏るるを杼(く)み、

  四は沈み浮かぶことに着巧にして、

  五は船師なり」とある。
 
 インドの海洋貿易商人はサンスクリット語で

 vānika と呼ばれたが、商人は vanija で

 売買をして生活する者というのが語幹となっている。

 この vani- を祖語とした伝説が

 東南アジアにある「ワニ」伝説であることも

 第六章「月氏と秦氏」で触れた。

 海洋貿易商人が航海に使う船舶は

 yāna-pātra と特別視されたが、

 船の総称は nau,nauka,nāvā で

 ギリシャ語でもnau と語源を同じくする。

 船乗りたちは nāvāja,navika と呼ばれた。

 ARPACHIYAH 1976

 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部



 『参考』
 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 アルパチア遺跡出土の碗形土器

 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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