2014年3月23日日曜日

姑射と偎人(9)


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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:557頁

 第十章 天毒とセリカ

 姑射と偎人(9)

  古事記の清寧天皇の段に歌垣は登場する。

  平群臣(へぐりのおみ)の祖、名は志毘臣(しびのおみ)、

  歌垣に立ちて、

  其の袁祁(をぎ)命の婚(よば)はむとし賜ふ美人の手を取りき、

  其の孃子(むすめ)は、菟田首(うだのおびと)等の女、

  名は大魚(おほうお)なり。

  爾に袁祁命も亦歌垣にに立ち給ひき。(略)

  また「常陸国風土記」筑波郡にも歌垣の様子が載る。

  筑波岳は、(中略)坂より東の諸国の男女、

  春の花の開くる時、秋の葉の黄(もみ)づる節、

  相携ひ騈闐(つらな)り、飲食を齎賫(もちき)て、

  騎(うま) に歩に登臨(のぼ)り、

  遊楽(たの)しみ栖遅(あそ)ぶ。

 同風土記は続いて歌謡を記述しているが、ここでは除く。

 このように古代の日本にも

 農耕儀礼としての歌垣は伝えられていた。

 山海経の列姑射の「列」は哈尼族の祭りを表す。

 「ロー」に依るもので

 「ロー・クン・シー」が

 列姑射と音写された「新畑祭」の語義である。

 
  韓と日本には共通の倭族文化が伝播しているのである。

 姑射とは倭族が韓半島と日本の南部に

 開拓した新天地の名称である。

 山海経海内に記された「偎人」の

 「偎」は wei で

 倭 wei (委 wei) と同音であり、

 結局そこに倭人が居住していたことを

 示唆しているのである。

 因みに「委」とは稲作の豊作を祈って

 歌舞(歌垣) する女の姿を表わし、

 お多福の仮面で知られる。

 「阿亀」は委を崩し
 
 「お禾女」とした「稲の女」に依るものである。

 《参考》

 ホーム常陸国風土記を訪ねる

 筑波郡

 夫れ筑波の岳は、高く山に秀で、最頂は西の峰崢嶸しく、

 これを雄の神と謂ひて、登臨らしめず。

 但し、東の峰は、四方磐石にして、昇り降りは坱圠ならずも、

 其の側に流泉ありて冬も夏も絶えず。

 坂より已東の諸国の男女、

 春は花の開ける時、秋は葉の黄づる節、相携ひ騈闐り、

 飲食を齎賫し、騎に歩に登臨り、遊楽び栖遅へり。

 其の唱に曰はく、

 筑波嶺に会はむと云ひし子は誰が言聞けば

 かみ寝会はずけむ筑波嶺に廬りて

 妻無しに我が寝む夜ろは早も明けぬかも詠へる歌甚多くして、

 載車るに勝へず。

 俗の諺に云はく、筑波嶺の会に娉の財を得ざれば、

 児女とせずといへり。

 『夫女ヶ石(ぶじょがいし)』

 筑波山の南斜面、筑波ふれあいの里内にある2つの巨岩で、

 それぞれの岩は男女を示すとされる。

 この付近で男女が集って歌を掛け合い饗宴する

 「嬥歌(歌垣)」が行われたと伝承されている。

 『常陸国風土記』筑波郡の条で、

 筑波山に関東中から男女が集って

 嬥歌が行われた様子が記されている。

 歌垣
 歌垣
 歌垣

 『参考』
 前人未到の道を行く - 邪馬台国・奇跡の解法 - Gooブログ
 古代史獺祭


 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部


 『参考』
 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 アルパチア遺跡出土の碗形土器

 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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