2014年3月8日土曜日

インドの海洋交易商人(4)


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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:536頁

 第十章 天毒とセリカ

 インドの海洋交易商人(4)

 以下は教義の解釈に関する説明になるので略す。

 ここにチーナ(支那)が現われ、

 貿易航海者たちが中国沿岸まで達していたことを示している。

 ミリンダ大王とは、

 アレキサンダー大王に率いられて中央アジアまで遠征してきた

 ギリシャ人たちが創建したバクトリアの紀元前180年頃

 ヘレニズム勢力が最も強盛であったとされる

 メナンドロス王のサンスクリット語名である。

 彼の出身であるとみられ、

 バクトリア朝の支配的ギリシャ王家オーティドーモス家は

 小アジアのスミルナを中心とする

 イオニアの出身であったと伝えられている。

 「ミリンダ王の問い」は

 このメナンドロス王と仏教の尊者ナーが

 セーナとの間の対語の形式で、

 ギリシャ的見地からの質問に仏教的思想を

 説くことを主旨としている。

 メナンドロス王はチーナにも支配を及ぼしたとの

 記述が別の史料にはあり、

 タリム盆地へ一時勢力を伸ばしたのではないかと考えられている。

 しかしながら、

 上記の記述は同王の生存中の実話とは専門家たちは視ていない。

 経典の成立を紀元1世紀と推測しており、

 貿易商人が活躍し、

 その到達していた地名もその当時の情報に依るものと解釈される。

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部


 『参考』
 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 アルパチア遺跡出土の碗形土器

 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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