2014年3月11日火曜日

インドの海洋交易商人(8)


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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:540頁

 第十章 天毒とセリカ 

 インドの海洋交易商人(8)

  インドの海洋交易商人(vanica)たちは

 何を求めてチーナまで遠路航海したのだろうか。

 その主な商品は絹である。

 漢書地理志の漢の商人の航路知識を紹介した中に

 「黄金とさまざまな絹織物を持参して赴いた」とある。

 また何回となく登場する紀元前2世紀の記録

 「史記大宛列伝」の張騫が中央アジアの大夏で見出した

 「蜀の布」は絹であり、蜀(四川省)から身毒(インド)へ

 蜀の商人が運んで、中央アジアへもたらされたものであった。

 当時よく知られた職布のうちには

 シナ製の布 pattunnacīnapaţţam や絹布 koseyyam の名称があった。

 これらの名称は西方のギリシャ商人たちが

 シルク(セリカ・セレス)名を獲得する以前の名称であると考える。

 大宛伝の伝承は、

 インドでは当初蜀の地四川盆地から雲南省の陸路を経て

 絹を入手していたことを物語っているのである。

 R・S・シャルマが「古代インドの歴史」で

 「インドの東海岸で絹を入手して西海岸へ陸路運んだ」

 と述べるのもそのような交易網の理由によるものである。

 《Key Word》

 史記大宛列伝
 史記大宛列伝

 R・S・シャルマ「古代インドの歴史」
 R・S・シャルマ「古代インドの歴史」 

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部


 『参考』
 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 アルパチア遺跡出土の碗形土器

 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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