ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年9月30日日曜日
1つの代名詞が教えるパーリ語の重要性
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録33:16頁
《1つの代名詞が教えるパーリ語の重要性》
「1つの代名詞が教えるパーリ語の重要性」
『魏書倭人章』は、
卑弥呼の宮廷には「唯 男子一人ありて 飲食を給し 辞を伝う」と、
男子は1人だけだったと強調している。
パーリ語辞典には
「kammika カムミカ 管理者、執行者、官吏、商人」という名詞がある。
この名の発音と意味は
日本語の神御子(かむみこ)や上皇子(かむみこ)にごく近い
(泄謨觚の觚は<カ>と<コ>の両方に読める)。
上皇子はそのままで整徳太子を意味してもいる。
ことに卑弥呼の「男子一人」に当てはめてみると、
その地位と職務とに、まさにぴったりの代名詞である。
これを加えて『魏書倭人章』を読むと、
卑弥呼一族の皇子の一人が、
推古天皇に対する聖徳太子のように側近にいて、
政策を立案して告げ、指揮していたことは、当然のことである。
こうみてくると、
このカムミカの訳は、
官吏というよりは支配者の代理である「代官」のほうが、
より相応しいといえる。
また商人も意味することは、
現代からみれば異様に思えるが、
パーリ語時代のインドでは、
商人の地位が非常に高かった事実と、
殷人が「商」を国号にしていたことで納得がいく。
古代天皇や卑弥呼や整徳太子の実感が、
パーリ語によって、こうしてさらに精度高く復元できる。
それらはウバイド→インダス→日本列島の倭人が、
実は一つの政体だったことを、
強力に証言し、かつ教えてくれた。
パーリ語がいかに我が国の歴史復元に、
貴重で不可欠な文化財であるかを痛感する。
《パーリ語辞典》
「パーリ語辞典」
『参考』
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2012年9月29日土曜日
ウバイド直系を示す卑弥呼政権の特徴
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録33:15頁
《ウバイド直系を示す卑弥呼政権の特徴》
「ウバイド直系を示す卑弥呼政権の特徴」
これで、何故?卑弥呼が共立され、彼女の死後、
なぜ?また壹與女王に選ばれたのか?
という疑問に、納得できる的確な答が出た。
それは斉明天皇が退位するまで続いた
倭の名が「ウバイド」そのものだったことで、
十二分に理解できる。
それは太古のウバイド期以来、変えることのできない倭人(ウワイト)の伝統、
『女王による統治』の鉄則があったからなのである。
これを逆にいえば、
倭人がウバイドそのものであった証拠が揃っているということである。
① それは3世紀まで「倭人(ウワイト)」の名をもち続けていたこと。
② 7世紀に斉明天皇が死ぬまで「倭国」を名乗り続けていたこと。
③ 日本と国名を変えた後も、孝謙天皇まで女帝が続いたこと。
④ そのあとも、農漁業国家を維持して、牧畜を避け続けたこと。
⑤ ソナカが牛を殺して食べた村人を罰したことで判るように、
肉食を禁じていたことは
今、
イスラム教徒がブタを食べないことや、
ヒンドウ教徒がウシを神聖視するのと
同じタブーがあった証拠で、
それは農業国家ウバイド時代以来の禁令だったことが解る。
⑥ 卑弥呼の『鬼道』とは
仏教化した優婆畏道(ウバイド)をソナカとの結婚で継承したもの。
⑦ 侍女1000人もウバイドの女性協議攻治の伝統。
遺物→平安才女群や徳川幕府の大奥。
《パーリ語辞典》
「パーリ語辞典」
『参考』
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『言語復原史学会:画像』
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2012年9月28日金曜日
我が国とウバイド以外にはない「多神教と祭政一致」
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録33:14頁
《我が国とウバイド以外にはない「多神教と祭政一致」》
「我が国とウバイド以外にはない「多神教と祭政一致」」
多神教の神道と祭政一致の天皇家は、
8000年前のウバイドで、
女王が産土(うぶすな)神を祭り神官を勤めた伝統を、
今まで継承してきたものだったことが、解るだけではない、
この形は世界中を見渡しても我が国とウバイド以外にはない。
我が国の神殿群が、
いずれも簡素で清潔なのは、
バビロンなどに見る男帝国家群が、
信仰を政策と虚栄の道具に堕落させ、コケ脅しの巨大建築を造り、
凄惨な戦闘図を掲げた幼稚な王たちの低い思想と
倫理感を記録しているのに対比すると、
際立ったコントラストを見せている。
神道を語る者は、この事実を知り、
比較できずにいては、正しい評価ができるはずがない。
これまでも多くの教養のない主張が、
神道の神聖を著しく堕(おと)してきた。
ことに戦前の天皇家利用犯罪集団は、
神道を人倫の道を踏み外した魔道としか思えないものとして、
海外の人々の脳裏に強く焼き付けてしまった。
大悪魔ヒトラーでさえ、
その模倣者に過ぎないとする学者もいるほどである。
しかし在来の神道論は、
無教養な愚者による低級幼稚な主張だったことは明らかである。
今、
ウバイドからの歴史が解明されてみると、
天皇家と神道が8000年の伝統を保って、
未来の人類によく繁栄をもたらす、
理想と能力の持ち主だったことは疑いない。
《パーリ語辞典》
「パーリ語辞典」
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2012年9月27日木曜日
ウバイド→優婆畏人→倭人(ウワイト)は「母系国家」も意味する
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録33:13頁
《ウバイド→優婆畏人→倭人(ウワイト)は「母系国家」も意味する》
「ウバイド→優婆畏人→倭人(ウワイト)は「母系国家」も意味する」
ウバイドと倭人(ウワイト)が、
インダスを経由して続く一系の人々だったことは、
すでに確認できているし、
同系のカルデア人の子孫であるカレン人(カリエン=高麗人)が
今も厳重な母系集団を維持していることも、
その歴史もまたよく御存知である。
いまここまで検討してきたのも、
卑弥呼と壹與が
「なぜ?女王に選ばれたのか?」という命題によるものだった。
その答は倭国が日本に変わるまで女帝国家だったことであり、
その後も孝謙天皇に至るまでの天智天皇の血を受けた持統天皇系の歴代もまた、
女帝主流だったことが、この答を補強している。
それは優婆畏が証明したように、
ウバイドそのものが母系国家だったためであり、
卑弥呼が最高位の支配者・天照大神として特記されていることでも明らかなように、
「倭人=優婆畏人=大母王土(ウバイド)」とは母系国という名だったからである。
ウバイドでは主婦が内治に当たり、
集落の中心に聖域を置き、神々を集り、
農業を中心にして畜産・肉食を避けて、牛を神として崇め、
やがてそこが政策決定の王宮に発展した。
それはそっくり倭国の国是であり、王制であり、祭政一致であって、
伊勢神宮以下の神殿と鳥居が
牛を象徴とする構造と八百万(やおよろず)の神々を集ることで、
ウバイド・スメル文化と一致する。
我が国古代の王称が「キ」なのも、
本来は「姫・キ」と書かれていたからなのである。
《パーリ語辞典》
「パーリ語辞典」
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2012年9月26日水曜日
神殿が物語るスメル・バビロン帝国形成の経緯
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録33:12頁
《神殿が物語るスメル・バビロン帝国形成の経緯》
「神殿が物語るスメル・バビロン帝国形成の経緯」
ウバイド以来の伝統であった都心の神殿も王宮もないことから、
そこは職人と商人の町で、家内工場や倉が建ち並ぶ商工蔀市だったことは明らかである。
首都は他にあって、そこに女王がいた。
商工業歳の大阪や名古屋と、首都東京とのような関係が、
すでに当時から生まれ営なまれていたのである。
8000年前のウバイドの住居址は、集落の中央に神殿をもっていた。
それと異なるから、モヘンジョ・ダロの先住民は、
ウバイド人ではなかったのではないか?という疑いが生まれる。
しかしウバイドの集落にある神殿を、
それが神殿だと決定できたのは、
それが時とともに立派になって行き、
スメルからバビロンへと時代が進むにつれて、
明瞭に大神殿なったし、
同時に文字が生まれて、
それが神殿であることが明記されているし、
遺物もまた神殿特有のものが出土しているので、
それから逆行してウバイドにまで遡って、
集落中央の特徴のある遺跡が神殿だったと判り、
確認され定義されたのである。
この経韓から、
初期は集落ごとにあった神殿が、
時代と共に数が減り、
首都にだけおかれるという国家形成と小国統合と帝国化といった、
その発展成長の歴史が段階を追ってたどれ、
後には武力中心の男王帝国に変貌して、
興亡を繰り返すようになったが見て取れる。
《パーリ語辞典》
「パーリ語辞典」
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2012年9月25日火曜日
平和国家の確証=モヘンジョ・ダロ
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録33:11頁
《平和国家の確証=モヘンジョ・ダロ》
「平和国家の確証=モヘンジョ・ダロ」
女性国家の特徴は「平和を理想に、政争を避けた」ことである。
すでに多くの証拠と共に、
ウルの下水道と完全に同じ設備をもつことで、
ウバイド人が移住したことの確かな
インダスの大遺跡・モヘンジョ・ダロは、
近代的と言えるほど非常に発達した都市文化をもっていた。
なのに、1000年続いたと見られるその都市は、
外敵の襲撃に備えた防壁が全くないことが大きな特徴である。
また住民どうしの、トラブルに備えた護身用小刀以外、
武器が全く出土しないし、戦争の痕跡も全然ない。
そこを敵に追い出されたために廃墟なったのなら当然、
多数の戦死者の遺骨が発掘されるはずだが、それもまた全くない。
住民は敵と戦うことなく去ったのである。
モへンジョ・ダロというのは墓地を意味する後世のインド名だが、
それは遺跡の上に堆積した土の上に営(いと)なまれた後世の墓地の名であり、
地名なのであって、
古代のウバイド人の遺跡は、軍隊をもたない平和国家のものだったこと、
移住は大洪水による被害が原因だったことを物語っている。
その故郷のウルは全ての遺物によって「女王国」だったと確認されている。
その伝統は間違いなくインダスでも続き、守られていたのである。
ではその時代はいっだったのか?。
濃いウル文化が見られることで明らかなように、
そこはスメル最盛期のB.C.E.3000年代に畢生して、約1000年続いた。
《パーリ語辞典》
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2012年9月24日月曜日
倭人連邦は何故?「女王」を必要としたか?
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
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『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録33:10頁
《倭人連邦は何故?「女王」を必要としたか?》
「倭人連邦は何故?「女王」を必要としたか?」
卑弥呼は倭国大乱のあと共立されて倭人の女王に運ばれた。
政治に練達した多くの王たちがいたはずなのに、
経験不足で知恵も知識も劣る彼女が、
若い女性の身でありながら、
なぜ?連邦の運命を左右する最高の支配者に選ばれたのか?。
それだけではない。
卑弥呼が死んだあと、
男王が立ったが、また大乱になり、
幼少の壹與が女王に立てられて平和を取り戻した。
この2度にわたる女性推戴は、
女王制が単なる気まぐれから生まれたのではなく、
それでなければならない強い理由があったことを語っている。
その理由とは拘だったのか?。
これは『魏書倭人章』がもつ
最も重要な役割=倭国という政権の実体を教えている
最大の記録なのである。
それなのに、この問題を論じて答を明かにした者は一人もいない。
無知にも「ヤマタイコク」という愚かな誤名を使って論じた
『魏書倭人章』関係の論者や著者たちが、
着眼すらできなかったのも道理、
その答は、パーリ語の中にあったのである。
ubbari ウッバリ 沃土、女性、妻(いずれも「生むもの」)を意味している。
ウバルと「生まる」は方言差である。
南九州語では妻女を内方(ウッカタ)という、
これはウッバリに対して、
ウッバウ・内方と当て字したものを、
後世ウッカタと混むようになったものである。
また南九州ではウバリはウワイだから
倭は「沃土=倭土=ウワイド」である。
《パーリ語辞典》
「パーリ語辞典」
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2012年9月23日日曜日
ウバイドとは「巨大な水源(井戸)をもった土地」
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録33:9頁
《ウバイドとは「巨大な水源(井戸)をもった土地」》
「ウバイドとは「巨大な水源(井戸)をもった土地」」
これはまた、
ウバイド語の「ウバイド」とは、どういう意味だったか?も教えてくれる。
(パーリ語) upa- ウパ -の近く、-に従う、-に寄り添う。
ウバイドは日本語として読むと「イドの近く・イドに寄り添う」を意味する。
イドを井戸と書き替えると、井戸は水源で、大河も水源。
ウバイドとは「水源の近くの国」を意味する。
ウバイドという名は、
「巨大な井戸(水源)をもった土地」という意味だったのである。
こうしたことが生み出したと見られるパーリ語もある。
Ubbhidaはウバイドに非常に近いが、「沸き出る」という意味である。
やはり水源・井戸と切っても切れない言葉だ。
日本語で読んでもいいのか?という疑問には、
次のような日本語の語源が、
パーリ語中に大量に見つかっている。
「upa- ウパ」のつくものだけ挙げておこう。
Upajjha- ウパッジャー 和尚(倭上=倭津者(ウパッジャー))、親、教師
upatittahati ウパチッタチ 侍立する(突っ立ち)、仕える、敬う
upadha-rana ウパグーラナ 乳受、哺乳器、乳桶 (乳母垂らちね)
upanagaram ウパナガラン 都の近辺 (ナガラは都・長柄・名柄)
upama-nita ウパマーニタ 近似した、比較 (真似た、まあ!似た)
《パーリ語辞典》
「パーリ語辞典」
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2012年9月22日土曜日
優婆畏は南九州語名、卑弥呼仏教の大勢力を示す遺物
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録33:8頁
《優婆畏は南九州語名、卑弥呼仏教の大勢力を示す遺物》
「優婆畏は南九州語名、卑弥呼仏教の大勢力を示す遺物」
これまで常識にしてきた「優婆畏=女性仏教徒」は、
実は本来のパーリ語ではなく、
南九州で生まれた訛りが新たな名詞を作りだし、
それが中国にも拡がって
『優婆畏・優婆塞』という国際語に育ったものだったのである。
それは観世音菩薩の名と同じく、
卑弥呼仏教がアジア全域の仏教界に、
強い影響力をもっていたことを示す遺物で、
卑弥呼が南九州にいたからこそ生れた名詞であることを理解させ立証する、
重要で大きな動かぬ証拠なのだ。
さらにパーリ語辞典を見ると、
パーリ語と日本語の、より多くの一致が見つかる。
upa-saka ウパーサカ 優婆塞、仏教徒、信士(男女の区別はない)
upasevati ウパセワチ 世話する(関西語の世話しい=シイ=せよ)
upasevana ウパセワナ 追究 (せばな=古語「せねばならない」)
upa-hana ウパーハナ 履物、草履 (ハナが鼻緒(はなお)の語源)
upakula ウパクーラ 河原、川岸
これはウパ(ウバイド)がチグリス河の河原に当たる地勢を
もった国だったことから生れた名詞で、
ウパを省略したクーラが沖縄まで河原の意味に用いられ、
南九州で<ク>が<カ>に訛り<カーラ>になり、
河原、川原と当て字されて日本語になったことが、
よく見て取れる。
《パーリ語辞典》
「パーリ語辞典」
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2012年9月21日金曜日
パーリ語と日本語と英語の繋がり
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録33:7頁
《パーリ語と日本語と英語の繋がり》
「パーリ語と日本語と英語の繋がり」
ウバイドからウワイトに訛り、
それに倭人(ウワイト)と当て字されたものが、
聖徳太子のころには、
ウワヒトと発音されて上人(ウワヒト)と書かれ、
太子の宮殿が「上(ウワ)の宮」と呼ばれていたことなどは、
すでにお話しした。
この「上」もパーリ語ではupaと書く。
その例は次の通りだ。
upari ウパリ 上に、上方へ
「リ」は南九州語では「ジ」と発音する。
リンゴはジンゴ、
琉球はジキュである。
「ジ=二、=ニ・に」への当て字にもなる、
ウパは上で、ウパリは「上に」と一致する。
uparia ウパリヤ 上、上層部 (ヤは家 支配者を意味している)
uparaja-n ウバラージャン 副王(上の宮)、聖徳太子の地位に一致している。
これを見ると、
英語のup(ア・アップ)もまたやはり「上」を意味していることが判るから、
パーリ語がインド・アーリヤ語であることを痛感させる。
upari ウパーリ 仏弟子。
語尾の「リ」は南九州語では「イ」になる。
(明り=アカイ、名残り=ナゴイ、飾り=カザイ)。
優婆畏は、本来は男女を問わず仏弟子を意味していたが、
南九州で訛ったために、
倭人の女性上位で特に女性用名詞とされたものだったのである。
以上でパーリ語は鹿児島まできて日本語化したことがよくわかる。
《パーリ語辞典》
「パーリ語辞典」
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2012年9月20日木曜日
仏教説話として作られた「釋迦出家物語」
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録33:6頁
《仏教説話として作られた「釋迦出家物語」》
「仏教説話として作られた「釋迦出家物語」」
従来の仏教観では、
釋迦については、そうした背景には全く触れず、
彼が突然『無常』を感じて出家したものだと信じられてきた。
しかし今、こうしてウバイド人との人種関係が、著しく明瞭になってみると、
これまで固定していた釋迦の出家物語は仏教説話に過ぎなくて、
ウバイド以来の思想の伝承者であった彼は、
女性上位の政教の欠陥を感じて、
よりよき理想を求めて后妃と離別したのが
真相だと考えるほうがより合理的である。
こうしてパーリ語が教えてくれるウバイドとの関係は
実に大きな問題の扉を開いた。
それは単に仏教観を変えるだけでなく、
人類の未来の思想と平和に、
新たに大きく寄与することになったのである。
張政らが卑弥呼らを「倭人」と書いたのは、
倭人がウワイトと呼ばれていたからであり、
それが当時の世界常識だったからである。
張政の職名は彼がパーリ語に精通していたことを証言している。
だからあれだけ精密に倭人について書けたのである。
それでなければ通訳を通じてでは手間がかかり、
誤訳も多くて、
あれだけの内容をもつ報告書を書き、
今なお信頼し重視されることなどあり得ない。
以上でウバイド人=パーリ語人=倭人であった史実は、
さらに一層深く強く確認できた。
パーリ語とウバイド語の関係は、
知れば知るほど事実を痛感させる。
さらにそれをご納得のいくまで、ご覧戴くことにしよう。
《パーリ語辞典》
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2012年9月19日水曜日
インダスヘ入ったアーリャ人こそ「塞=釋迦族=倭人」
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録33:5頁
《インダスヘ入ったアーリャ人こそ「塞=釋迦族=倭人」》
「インダスヘ入ったアーリャ人こそ「塞=釋迦族=倭人」」
中国人が、
その「倭」に人をつけて「倭人」と表記したのは、
遅くとも周の時代だったと解るのは、
『論衡』にある
「倭人、鬯草を貢す」という記事によるが、
周の前の王朝が殷で、
それは稲敷ら中国へ渡ったウバイド人が建てた国だったことは、
既によく御存知だから、もう『論衡』を疑う必要はない。
この鬯草は東南アジアに多産する薬用キノコの一種・霊芝(レイシ)だから、
倭人の移動コースもわかるし、
当時、すでに薬草知識が発達していたことも解る。
だがそれ以上に、
古代ウバイドからインダスへ移住した人々がパーリ語人であり、
シャカ族すなわちスキュタイ人(塞)だったから、
魏は塞曹掾史の張政を我が国に派遣したのだと、
当時の人種区別と認識の深さも併せてわかる。
『魏書倭人章』の解読は、
ここまで解らなければ十分だとは言えない。
これでウバイド人がインダスヘ入ったことは動かなくなったが、
それはスキュタイ人で、在来、単にアーリヤ人という漠然とした
呼称でしか呼ばれていなかった人たちだったから、
この発見は世界史上、
最も重要なものの1つになった。
またこの発見が不動の確実牲をもつことも
仏教の説く最大の特質『慈悲』が、
平和と愛を鉄則とした
女性国家・ウバイドの国是からしか生れない思想によるものだったと判る。
卑弥呼はウバイド女王なのである。
《パーリ語辞典》
「パーリ語辞典」
『参考』
『言語復原史学会:Web』
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2012年9月18日火曜日
ウバイドがウワイトになったのはパーリ語圏でのこと
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録33:4頁
《ウバイドがウワイトになったのはパーリ語圏でのこと》
「ウバイドがウワイトになったのはパーリ語圏でのこと」
それが日本語を意識して、
そんな配列にしたのでないことは、
AIUEOと5つ揃っているのは、
母音ばかりのア行だけで、
カ行はKとG、
サ行はCとJ、
タ行はTとD、
ナ行はN、
ハ行はPとB、
マ行はM、
ヤ行はY、
ラ行はRとL、
ワ行はVだけで、
その後にSとHが付け加えられているから、
これはどう見ても日本語と同じ50音式の配列ではない。
使う子音もご覧の通り
サ=C=チャ、
ハ=P=パといった強い発音の文字が使われている。
また最後に別物として扱われている
SとHは、
お気づきの通り江戸っ子弁や大隈語の特徴と同じで、
本来のパーリ語ではない他語からの借用語が多く用いられていたために、
準パーリ語といった意味で、特に末尾につけ加えられたものだと判る。
しかしカ行以後も子音と母音が組み合わされて
AIUEO順に配列されているから、
その全体は、日本語の配列と完全に同じであって、
パーリ語と日本語が、
本来は同系統の言語だった事実を強く立証している。
これが日本語のルーツを知る言語史で、
どんなに重要な証拠であるか、お解り戴けると思う。
また上記の子音によって、
Ⅴをワと発音していた事実も解る。
ウバイはパーリ語でウワイに変わった史実がわかり、
中国で「倭」をウワイに当て字したのは
パ-リ語化以後のことだと判って、
ウバイド人の移動コースの地理と時代が、
確実に決定できるのである。
《パーリ語辞典》
「パーリ語辞典」
『参考』
『言語復原史学会:Web』
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2012年9月17日月曜日
パーリ語は日本語と同系のアイウエオ50音語
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録33:3頁
《パーリ語は日本語と同系のアイウエオ50音語》
「パーリ語は日本語と同系のアイウエオ50音語」
大学院講義録32号で、
我が国と天皇制が最古の文明史をもつことは、
充分ご理解戴けたと確信するが、
先を急いだので証拠は十分とはいえない。
反発を受けるのは当然である。
それを防ぐために最小限の補強をしておこう。
それにはウバイドという発音が
何故?ウワイト(倭人)という発音に変化したのか?
その理由を追究して明確に立証する必要がある。
その結果、
卑弥呼の都がパーリ=巴和国=今の隼人町(鹿児島県姶良郡)にあった
事実が改めて強力に立証されることになった。
発音変化はパーリ語によって起こったことが確認できたのである。
パーリ語とはどんな言語かということは、
パ-リ語の辞書にもインドの歴史書や百科辞典などにも詳しく書いてある。
しかしこれまで、教えられていない重要な特徴がある。
それは言語の配列が、
日本語のアイウエオ順と同じだということである。
欧米がこの言語の研究では先進国なのは、
インドが永い間、
英国の植民地だったことを考えると当然だが、
我が国がそんなパーリ語研究の存在も知らなかった1872年に出版された、
ロバート・C・チルダーズの『パ英辞典』も、
いま最も権威のある1821年初版のパーリ・テクスト・ソサエティ出版、
R・デイビッヅとW・ステッドの『パ英辞典』も共にアイウエオ順になっていて、
アルファベット順ではない。
私たちには便利で、欧米人には大層不便な辞書なのである。
《パーリ語辞典》
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