『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録13:18頁
以上の事実を、これまで我が国でも世界でも、
単なる『神話』と誤解していたために、
昔のアメリカ・インディアン並みにしか
見られていなかった私たち日本人を、
立派な古代史を記録していた偉大な文明人の子孫だとして、
認識を改めさせる壮大なキッカケになったことも、
ここでもう一度、よく認識しておいて戴きたい。
それは世襲のほかにも、
私たちに幾つものことを教えてくれる。
それは伊是名島と淡路島とに分布していたから、
「地名」が名乗りになったことを証言している。
それなら伊声耆はどこの王だったのだろう?。
これもすでに鹿児島県の伊佐郡だったことがわかっている。
それは「伊佐ン王=イサのキ」という南九州方言化したものだった。
これでこの名乗りは地域によって、
その土地で使われている発音に変化するために、
始めは沖縄で「イジナギ」だったものが、
鹿児島でイサンギになり、
淡路島でイザナギに変化したことも理解できた。
それならまだ多くの同じ名乗りが、
どこかに地名として残っている可能性がある。
調べてみると次ページのリストのように、大量に見つかった。
それは、この名乗りをもつ王たちが、
移動した足跡を記録していることは疑いない。
それこそ『記・紀』などが書くことのできなかった、
真実の天皇家の足跡であり、
私たちの先祖の本当の歴史だったのである。
『参考』
翻訳と辞書 [無料]
リンクフリー〔UTF-8 対応版〕
小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
歴史徒然
歴史回廊
ウワイト
0 件のコメント:
コメントを投稿