2010年11月3日水曜日

神話と歴史をつなぐ人物

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録12:15・16頁

もう一人のタキリヒメは、

スサノオの命の娘、三女神の長女に当る方である。

古事記  ①多紀理毘売(タキリヒメ)またの名、奥津島(オキツシマ)比売、
②市寸島比売またの名、狭依(サイ)毘売、    ③多岐都比売

書紀本文 ①田心(タコリ)姫、     ②湍津(タキツ)姫、③市杵島姫
以下一書 ①瀛津(オキツ)島姫、    ②湍津(タキツ)姫、③田心(タコリ)姫
①市杵(イチキ)島姫、    ②田心(タコリ)姫、③湍津(タキツ)姫
①瀛津島姫またの名市杵島姫、②瑞津姫、    ③田霧(タキリ)姫

一見しただけで、ずいぶん混乱が激しいことがわかると思う。

しかし、そのうちで、

<多紀理毘売>、<田心姫>、<田霧姫>が「タキリヒメ」であることは、

説明はいらない。

また混乱はあっても三人姉妹であることは厳重に守られている。

そこで応神天皇妃の<高城入姫>を見てみよう。

古事記では、品陀真若王の女、三柱の女王、として

①高木之入日売、②中比売、③弟比売、としてある。

書紀では

①高城入姫、②仲姫、③弟姫である。

この中、仲、弟というのは名前ではない。

<ナカ>は<次女>、<オト>は<末娘>のことである。

ここでもぴったり三人だから、よく合うのであるが、記紀双方とも、

申し合わせたように②③の名前がないのである。

一体応神天皇はどの大帝の后妃の名が不明のままということがあるであろうか?

これは②③のうち一人でも明記したら、たちまち、

スサノオの命の三女神だとわかるために、

どうしても名前を書くわけにいかなかった、と思いたくなる書き方である。

『異説・日本古代国家』20神話と歴史のつなぐ人物

しかし、<タキリヒメ>の名と、三姉妹という二点では一致している。

仮に<スサノオの命>と<品陀真若王>が同一人だとすれば、

これまで神話の世界の存在とされていたスサノオの命は実在者、

品陀真若王の別名だという大変すばらしいことになる。

この仮定が正しければ必ず他の証拠が見つかるはずである。

天皇の本系でないために<品陀真若王の系譜>は簡単なものしかない。

そこで先ず記載の多い<スサノオの命の系譜>から見ていこう。

どういうものか、この命を祖とする大国主命一族の記事は、

日本書紀には少く、古事記には詳しい。

系譜もまた古事記には詳細に出ている。

その系譜にざっと目を通して面白いことに気がついた。

それは、命が、大山津見の神の娘「神大市比売」と結婚していることである。

大山津見の娘は天孫降臨の主人公、ニニギの命とも結婚している。

有名な「木花佐久夜毘売(コノハナサクヤ)」である。

これは現代人の常識なら、

スサノオの命と、ニニギの命は義兄弟ということになる。

スサノオの命と天照大神との間に生れた

天忍穂耳(アメのオシホミミ)の命の子が

ニニギの命であるから、二人は祖父と孫でもある。

それが同じ姉妹と結婚したのであるから、

当然互いに行き来がありそうなものなのに、

この二人は出雲族と天孫族とに分れてしまい、

時代も隔絶して、全く無関係なのである。

どうやらここでも分裂現象が起こっているような予感がする。

『異説・日本古代国家』20神話と歴史のつなぐ人物

『参考』

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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
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