2010年6月29日火曜日

解けた応神天皇の「名替え」の謎 

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録09:21頁


だがまだ疑問が残っている。

この<誉>の字は<ホム>とは読めるが、

漢字音は<ヨ>であって、<コン>とはどうしても読めない。

それを無理やり<コン>と読ませているのが、

前記のとおり本家本元の<応神天皇陵>であり、

そこにある<八幡宮>なのである。

そこまでする理由はそれがパーリ語の名前であり、

本来つけられた本当の名であり発音だからである。

『古事記』の仲哀天皇記には、

建内宿祢が幼い日の応神天皇をつれて、

御禊(みそぎ)のために淡海などを経(へ)めぐったとき、

夢に<伊奢沙(イザサ)和気の大神の命>が現われて、

皇子と名を替えたいと言われて取り替えたという

「名替え」の話が特記してある。

在来はそれは何のことか明確にはわからなかった。

しかしもうおわかりのように

前の<八幡>はギリシャ信仰をもつ海人たちの王の

本都別(ポントス)で<ポントス>だったから

<誉都別>と書いたり<本都別>と書いた。

しかし後の八幡はパーリ語の名をもつ仏教徒のコンタで、

全てが、はっきり別人だったので、

その文字の発音も<誉田>を<コンタ>と読むことになったのである。

それは巴利国の名を今に残す隼人町に

その皇居の跡が大隈正八幡として残るのであるから、

当然パーリ語名でなければならない。

これが名替えが行なわれたという伝承の真実の実態だったのである。

伊奢沙(イザサ)和気はイザナギということも、

もうご説明はいらないと思う。


『参考』

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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
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