2010年6月26日土曜日

パーリ語だった誉田(コンタ)。八幡はパーリへの当て字から 

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録09:18頁


讃・珍と同じく、これもまたパーリ語なのである。

Konta コンタとは旗や幡の類をいう。

八幡も8つの旗を意味するから、

まさしく<コンタ>を漢字に意訳したものだったのである。

しかしその八は何のためについているのだろう?。

すでに詳しくお話ししたように、

彼の都はいまの隼人町(鹿児島県姶良町)にあった。

そこは卑弥呼時代の<巴利国>である。

この<巴利国>はそのまま<ハリマ>と読めるから、

淡路と一緒に兵庫県に移動したことが一と目でわかる。

<ハリマ>への当て字は<播磨>である。

<幡>も<播>も漢字音は<バン>だから幡の代わりに播の字を使うと八播で、

これはパハリと読める。

日本語の古音は母音に<h音>を加える。

戦前までの振り仮名を見ると、

<悔いをクヒ>、<箒をハフキ>、<お前をオマヘ>と書いた。

これは南九州語にいまも強く残っている発音で、高千穂という地名も、

その南九州語では武内宿祢を指す武内(タカチ)=タカチオーに一致する。

これは他の記録にもよく合うので、正解であり史実だとわかっている。

だから南九州では<パーリ>は<パハリ>なのである。

八幡とは、この<パハリ>を<八播>と書いたものが先に生まれたが、

後にそれと応神の名のコンタが複合して、

旗の意味の幡のほうが専用されるようになっただけで、

もとは<八播>で、その遺物が今の<播磨>なのである。

これで<応神>はなぜ<八幡>と呼ばれるのか?という

過去の大きな謎は完全に解け、

答えは完全に揃った。

『参考』

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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
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